ロシア国立ボリショイ・オペラ

オペラ・バレエ
The State Bolshoi Opera, Opera / Ballet
ロシア国立ボリショイ・オペラ

バイオグラフィー

ボリショイ・オペラの歴史

ボリショイ劇場の歴史は1776年、モスクワの検察官で演劇愛好家のピョートル・ウルソフと、かつては曲芸師だった英国人のマイケル・マドックスが、モスクワで初めての常設の劇場を設立したことに遡る。1780年には、ペトロフスキー通りに自前の劇場を設けたが、その25年後、当時モスクワで頻発していた火事に見舞われて焼失した。
1825年1月、新しくボリショイ・ペトロフスキー劇場が開幕を迎えた。古典主義様式で建設されたこの建物は、8本のドリス式柱を持ち、その破風付き玄関は4頭立ての馬車に乗った銅のアポロ像を載せていた。同劇場ではオペラとバレエのみが制作されていた。1853年の火災によって、またしても劇場の内部が破壊されが、ベネチアの建築家アルベルト・カヴォスによって改修が行われた。
1840年代には、ロシア国民楽派の本格的な始まりと呼ぶことができるグリンカの《イワン・スサーニン》と《ルスランとリュドミラ》を初演した。同様に、バレエとオペラ双方の歴史にとって重要な意味を持つのは、ピョートル・チャイコフスキーの遺産であり、彼による作品の多くが同劇場で初演された。それらには、《エフゲニー・オネーギン》、《スペードの女王》、そして《白鳥の湖》が含まれている。
19世紀末前後もまた、ボリショイ劇場が栄えた時代だった。そこに出演した音楽家には、《エフゲニー・オネーギン》のレンスキー役の最も優れた表現者と評されるレオニード・ソビノフ、ソプラノのアントニーナ・ネジダノーヴァ、コントラルトのエフゲニア・ジブルイエワ、そして伝説的なバス歌手のフェードル・シャリアピンなどがあげられる。1899年に入団したシャリアピンは、1920年まで同劇場で活躍した。彼が劇場にもたらした影響とその人気の高さが並外れたものだったため、彼の個性的な才能をあえて引き立たせる作品がしばしば選ばれて上演されていた。《ボリス・ゴドゥノフ》とセロフの《ユーディト》が再び上演されるようになり、またリムスキー=コルサコフの《プスコフの娘》と《モーツァルトとサリエリ》に加え、シャリアピンの主張により数々のロシアの現代オペラが上演された。この時期に初演されたオペラには、アントン・アレンスキーとその弟子のセルゲイ・ラフマニノフによるものがあり、後者は指揮者としても出演した。
1917年の10月革命以後、モスクワは新生ソビエト連邦の首都となり、社会主義社会における芸術の役割についての論議が湧き上がった。左派批評家たちは、チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフらブルジョア的作曲家の作品をレパートリーから外すように要求した。しかし、穏健派の声の方が強かったため、初期のソビエト時代においては、現代作品と並んで伝統的な19世紀のオペラやバレエも上演された。1920年代には、音楽監督のニコライ・ゴロワノフが主宰していたボリショイ劇場ソリスト団体(Corporation of Solo Artists of the Bolshoi Theatre) は労働者や兵士のために無料コンサートを行い、これらは大好評を博した。この時期に初演されたオペラには、イヴァン・ジェルジンスキーの《開かれた処女地》、そして1927年6月14日にはモスクワでは初演となったプロコフィエフの《3つのオレンジの恋》などがある。
大戦直後、ロシアでは幾人かの優れた歌手が生まれ、彼らはボリショイ劇場に定期的に出演した。それらには、テノールのイワン・コズロフスキー、セルゲイ・レメシェフ、ゲオリギ・ネレップ、バスのイワン・ペトロフ、アレクサンドル・ピロゴワ、マルク・レイニング、メゾ・ソプラノのイリーナ・アルキポーワ、そしてソプラノのガリーナ・ヴィシュネフスカヤなどがいる。劇場の首席舞台監督ボリス・ポクロフスキーはオペラ制作の改革を積極的に進めた。スタンダードなレパートリーと並んで、活躍中の作曲家による作品も引き続き上演されていた。

輝かしい歌手陣に加えボリショイ劇場が誇るのは、世界一流の交響楽団にもひけを取らないオーケストラである。劇場の長い歴史の中で、ニコライ・ゴロワノフ、ユーリ・ファイエル、アレクサンドル・メリク=パシャエフ、ボリス・カイキン、エフゲニー・スヴェトラーノフ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、そしてマルク・エルムレルなど、ロシアで最も偉大な指揮者たちにとって率いられてきた。そして2001年、アレクサンドル・ヴェデルニコフが音楽監督兼首席指揮者に就任した。
以来、ボリショイ劇場は様々な芸術的試みを行い、それらを成功させている。上演された古典作品には、ムソルグスキー の《ホヴァンシチナ》、リムスキー=コルサコフの《雪の女王》、グリンカの《ルスランとリュドミラ》、チャイコフスキーの《マゼッパ》、チレア の《アドリアーナ・ルクヴルール》、ヴェルディの《運命の力》と《マクベス》、ワーグナーの《さまよえるオランダ人》、プッチーニの《蝶々夫人》、そしてモーツァルトの《魔笛》がある。21世紀に入ると、劇場は20世紀生まれのロシア人作曲家の名曲をレパートリーに加えるようになった。近年、プロコフィエフの《賭博師》、《炎の天使》、《戦争と平和》、そしてショスタコーヴィチの《ムツェンスク郡のマクベス夫人》を上演した。2005年には、レオニード・デシャトニコフに委嘱した《ローゼンタールの子どもたち》を新演出で上演した。
自ら手掛けたプロダクションをボリショイ・オペラのレパートリーとして定着させることに成功した芸術監督には、ヨーロッパの一流の演出家のペーター・コンヴィチュニー、ロバート・ウィルソン、グラハム・ヴィックらに加えて、ロシアのテムール・チヘイーゼ、ロバート・ストゥルア 、ドミトリー・チェルニャコフ、アイムンタス・ネクロシウスなどがいる。
ボリショイ劇場は、多くの教育的なプロジェクトを行っており、それらにはA.シェーンベルクの《グレの歌》の初演、ベルリオーズの《ファウストの劫罰》のコンサート形式による上演、ベルクやリヒャルト・シュトラウスの作品のコンサートが含まれている。また劇場で開かれる室内楽のコンサートでは、優れた歌手やアンサンブルが定期的に出演している。活気に満ちたボリショイ劇場管弦楽団が、新館とモスクワ音楽院大ホールで行う演奏会は、一般の聴衆と批評家双方から高い人気を得ている。
ボリショイ・バレエがパリ、ロンドン、米国、日本、韓国で、オーケストラと合唱団がスペインとポルトガルで、そしてオペラがリュブリャナ、ワルシャワ、リガでオペラが収めた成功も高く評価できるものである。劇場は、パリ・オペラ座、スカラ座、コヴェント・ガーデン、ポーランド国立歌劇場、ラトヴィア国立歌劇場、フィレンツェ五月音楽祭との意義あるパートナー関係を回復することができた。《さまよえるオランダ人》は、ロシア史上初めてヨーロッパ一流の歌劇場(バイエルン国立歌劇場)との合作で上演された。

2005年9月、歴史あるボリショイ劇場本館の改修工事が開始された。これ以降、公演の鑑賞は新館でのみ可能である。この新館では、7つの初演が行われた:2005年6月にはロバート・ウィルソン演出による《蝶々夫人》、2005年10月にはグラハム・ヴィックの《魔笛》、2006年9月にはドミトリー・チェルニャコフによる《エフゲニー・オネーギン》、2007年4月にはアレクサンドル・ソクロフによる《ボリス・ゴドゥノフ》、2007年10月にはワレリー・フォーキンの《スペードの女王》、2008年4月にはアイムンタス・ネクロシウスの《見えざる都キテージの伝説》(カリアリのリリコ歌劇場との合作)そして2008年4月にはデーヴィド・パウントニーによる《カルメン》である。両方の舞台で通常の公演が行われるようになるのは、2011/2012シーズンの予定である。
クレディ・スイスはボリショイ劇場のゼネラル・スポンサーである。

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