ナタリー・デセイ(ソプラノ)

声楽
Natalie Dessay, soprano, Vocal
ナタリー・デセイ(ソプラノ)

バイオグラフィー

1965年リヨン生まれ。

名前のナタリーに、フランス語本来の表記のhがないのは、敬愛する米国女優ナタリー・ウッドの名になぞらえてのこと。
ボルドーに育ち、最初の夢はエトワール・ダンサーになることだったが、その後ドイツ語と演劇、声楽を学ぶ。声質はソプラノ・レッジェーロ。
上達が目覚ましく、通常5年はかかる声楽コースを飛び級にて1年で修了。
音楽院を一等の成績で卒業したのは20歳の時。トゥールーズ・キャピトル劇場合唱団に短期間籍を置いたのち、ボルドーにもどり、ソリストとして確固たる道を歩み始める。

1989年フランス国内で「新しい声コンクール」が開催され参加、2等を受賞。パリ・オペラ座アーティスト養成コースに招かれ研鑽を続ける。
1992年バスティーユ・オペラにて「ホフマン物語」(オッフェンバック作)のオリンピア役で出演、演出はロマン・ポランスキー。翌年、ウィーン国立歌劇場よりまず最初のオファー。その直後1年間でこの名誉ある劇場に数回の出演という快挙を成し遂げる。1993年、リヨン国立オペラのオープンにあたって、重鎮ルイ・エルロ演出の「ホフマン物語」でもオリンピア役。2001年までの期間に、まさにこの “ミュージック・ホールにぴったりの曲目”を、じつに異なる8つのプロダクションで歌うこととなった。

1994年には、最初の専属契約をEMI Classicsとの間で締結。同年、「魔笛」の夜の女王に初挑戦。このときの指揮はウィリアム・クリスティー、演出はロバート・カーセン。“息を呑む空中ブランコのごとき2曲のアリア”と評される。続く年には、レオ・ドリーブ作曲のコミック・オペラ「ラクメ」に挑戦、魅惑的な巫女の姿を観客に披露したその直後に、いよいよミラノ・スカラ座にオリンピア役で登場。アルフレード・アリアス演出によるこの気まぐれで挑発的な機械人形は、観客の心に忘れ得ない印象を刻んだ。

1996年、ジュネーヴでアンブロワーズ・トマ作「ハムレット」でオフィーリア役。この演目では常連と言われる顔ぶれの歌手たちに加わって大健闘。パトリス・コリエ、モーシェ・ライザー演出。同じ年、ウィーンに再び招かれ、リヒャルト・シュトラウスの「無口な女」のアミンタ役。批評家たちから高い評価を得たのちニューヨークに飛び、同じくシュトラウス作の「アラベッラ」でフィアカーミリ役を歌い、メトロポリタン歌劇場デビュー。
世界のどこで歌っても、いかなる型にも収まらないこのソプラノに一般聴衆はは一気に心を奪われ、上演後のCDの売上げは上昇、そして批評家たちも負けずに彼女を讚え、同時期に5つの賞を受賞。「だからといって、べつに、パン屋さんでバゲットを買う私にファンが群がる、なんてことは、起きなかったわよ。」とは、本人の弁。

1997年、マルク・ミンコフスキー指揮、ローラン・ペリー演出の「地獄のオルフェ」(オッフェンバック)、ピエール・ブーレーズ指揮、ストラヴィンスキー曲「夜鳴き鴬」でパリの聴衆の期待に応え、そして翌1998年ふたたびニューヨーク、「ホフマン物語」と「ナクソス島のアリアドネ」。指揮はともにジェイムズ・レヴァイン。
1999年パリ、オペラ・ガルニエ宮でウィリアム・クリスティー指揮によるヘンデル「アルチーナ」で、ルネ・フレミング、スーザン・グラハムと共演。2000年に話題となったロバート・カーセン演出の「ホフマン物語」ではおなじみのオリンピア役、しかしこのときは、セクシーなバービー人形のいでたちに身を包んで聴衆を熱狂させた。

年数を重ね、レパートリーの幅を飛躍的に広げつつ、しかし、ソプラノ・レッジェーロ(=軽い)の役からは少しずつ離れ、彼女の姿は「悲劇を語る」ヒロインへと変貌してゆく。
そして2001年、ついに、15年前からの悲願であったドニゼッティ「ランメルモールのルチア」に挑戦する機会が訪れた。間を置かずにベッリーニ「夢遊病の女」、2003年には「ハムレット」(アンブロワーズ・トマ作)、象徴的な悲劇のヒロイン、オフィーリアのその一皮むけた役作りに、彼女を初めて迎えたコヴェント・ガーデンに拍手の渦が起こる。続いてバルセロナ公演。

2004年以降も、役を極める独自の方向を堅持し、シカゴで「ランメルモールのルチア」(イタリア語上演)、ジュネーヴでマスネの「マノン」初挑戦、つづいてサンタ・フェにて「夢遊病の女」。翌2005年、メトロポリタン歌劇場で「ロミオとジュリエット」(グノー作)、こちらもジュリエット役への初挑戦。

サンタ・フェでは2006年に「魔笛」パミーナのロールデビューも果たす。そのすぐ後にパリ・バスティーユ・オペラに凱旋、記念すべき演目は見る者を幻想世界へ誘い込むかのような「ルチア」、指揮エヴェリーノ・ピドー、演出アンドレイ・セルバン。

2007年の幕開け、ドニゼッティの「連隊の娘」のマリー役に挑戦。演出家ローラン・ペリーの洒脱さが光るこのプロダクションはロンドンとウィーンで上演され大好評。キャストにはホアン・ディエゴ・フローレスの名前も。続くバルセロナでは、ロランド・ヴィラゾンと共に舞台に立ち、デヴィッド・マクヴィカー演出による「マノン」を熱演。この公演の模様はVirgin Classics発売のDVDで見ることができる。

2007年9月24日、彼女の「ランメルモールのルチア」はニューヨーク・メトロポリタン・オペラのシーズンオープニングを飾り、また、同地リンカーン・センターとタイムズ・スクエアの2箇所で巨大スクリーンにて放映される。
つづく2008年にもMETは彼女を歓迎、役どころは「ルチア」再演と「連隊の娘」であった。
これは、METライブ・ビューイングで、世界各地の映画館で放映されたもの。2008年にはシカゴ・オペラで再びマクヴィカー版の「マノン」を演じ、ヨナス・カウフマンとともに観客の絶大なる支持を得る。

2009年1月、アン・デア・ウィーン劇場にて、初めての「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー作)。ローラン・ペリー演出による本公演は、同年9月にDVD発売される。この年の夏ついに機が熟し、「椿姫」がレパートリーに加わるが、この記念すべき初ヴィオレッタのための場となったのはサンタ・フェ。当地ではこれはまさに「事件」であった!
同年秋、彼女の再々来を首を長くして待っていたパリの聴衆の前に、プッチーニ「ラ・ボエーム」のムゼッタ役で姿を見せた。これも初挑戦の役である。つづいてウィーンで2010年新製作「夢遊病の女」、2011年パリでヘンデルの「ジュリオ・チェーザレ」(エマニュエル・ハイム指揮、ローラン・ペリー演出)のクレオパトラ役にもトライし、夏のエクサン・プロヴァンス音楽祭の新製作「椿姫」まで快走を続けた。

受賞歴として特筆すべきは、2007年2月コヴェント・ガーデンでの彼女の「連隊の娘」の演技に対して、2008年度のローレンス・オリヴィエ賞(ロンドンで優れた演劇作品に対して与えられる賞)がある。

2006年CDおよびDVDにて「ある声の奇跡 -le Miracle d’une voix-」を発売。CDはディスク・ドール賞を2度受賞し、DVDはプラチナ・ディスクを獲得。まさに記録である。
最新のCDはヘンデル作「ジュリオ・チェーザレ」からエジプト王妃のアリアを集めた「クレオパトラ」で、エマニュエル・アイム指揮、バロックアンサンブル・コンセール・ダストレ演奏。
舞台上での素晴らしい演技を映像に記録したDVDとして、「連隊の娘」「ペレアスとメリザンド」、「ハムレット」、ツェルビネッタ役がみごとな「ナクソス島のアリアドネ」など、多数発売されている。
現在の専属契約会社はヴァージン・クラシックスである。

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