サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団

オーケストラ
St. Petersburg Philharmonic Orchestra, Orchestra
サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団

バイオグラフィー

<ユーリー・テミルカーノフプロフィール>

「アバドが“気品”、バレンボイムが“カリスマ”、ハイティンクが“個性”とするなら、テミルカーノフは“予測の出来ない、華麗さを兼ね備えた天才”だ」最近行われた演奏旅行の際、イタリアのマスコミはこの様な演奏会評を書いた。

ユーリー・テミルカーノフは間違いなく現代の巨匠の一人であり、2009年のノーベル賞授賞式演奏会ではロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に招かれている。

 1938年12月10日、コーカサス地方のナールチク生まれ。レニングラード音楽院指揮科でイリヤ・ムーシンに師事。
1966年モスクワで開催された第2回全ソ指揮者コンクールで優勝し、コンドラシン、D.オイストラフとともにモスクワ・フィルハーモニー交響楽団のアメリカ・ツアーへの同行が実現することとなった。
1966年から1972年にはレニングラード・マールイ歌劇場で活躍。
1967年フィルハーモニーホールでの指揮をムラヴィンスキーに認められ、アシスタント指揮者として招かれる。1968年からレニングラード交響楽団(現サンクトペテルブルグ交響楽団)の首席指揮者・音楽監督、1976年から1988年にかけてキーロフ・オペラ(現マリインスキー・オペラ)の芸術監督及び首席指揮者を務め、「エフゲニー・オネーギン」、「スペードの女王」など自ら演出も手掛けた。また、同劇場の歴史で初のイギリスを含むヨーロッパでの公演を行うほか、初めてオーケストラ・ピット内ではないステージ上での演奏会を行った。
 1978年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してロンドン・デビュー。1992年より1998年まで同楽団の首席指揮者を務め、1998年には名誉指揮者の称号が与えられている。  1988年4月、ムラヴィンスキーの逝去後、楽団員の選挙によってサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団(旧レニングラード・フィル)の音楽監督・首席指揮者に選出され、以来23年間同楽団と密接な関係を築き、2005年にはロシアのオーケストラとして初めてNYカーネギーホールのシーズン開幕演奏会で演奏を行っている。  この間、1992~97年にはドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の客演常任指揮者を務め、1998/99年シーズンからコペンハーゲンのデンマーク王立管弦楽団の首席客演指揮者に就任。また2000年から2006年までアメリカのボルティモア交響楽団の首席指揮者・音楽監督も務めている。
 その他、ヨーロッパでは、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ドレスデン国立歌劇場管、ロンドン・フィル、ロンドン響を始めとする一流オーケストラに客演する一方、アメリカでも1975年から定期的にフィラデルフィア管に招かれ、ボストン響、ロスアンジェルス・フィル、ニューヨーク・フィル、クリーヴランド管、シカゴ響、サンフランシスコ響等の演奏会にも登場。特に1986年には米ソ文化交流協定再開後、アメリカを訪れた初めてのソ連の指揮者としてニューヨーク・フィルを指揮し、批評家達に絶賛されている。また、1996年にはローマでの国連50周年記念ガラ公演を指揮するなど欧米で高い評価と人気を誇り、2002年、2008年にはイタリア評論家協会よりプレミオ・アッビアティ賞を受賞。同賞を2度受賞した唯一のロシア人指揮者となる。この快挙により、2013年ヴェルディ生誕200周年記念フェスティバルまでパルマ王立劇場の音楽監督に就任。

ロシア人民芸術家、勲一等勲章を始めとする数々の栄誉に輝き、サンタ・チチリア音楽院名誉アカデミー会員、サンクトペテルブルグ音楽院名誉博士、2009年にはサンクトペテルブルグ名誉市民の称号を授かっている。

 1988年よりBMGと専属契約を交わし、サンクトペテルブルグ・フィル、ロイヤル・フィル、ニューヨーク・フィルとのCDをリリース。

 多忙なスケジュールにも拘らずサンクトペテルブルグ市の文化と芸術の発展と継承に力を注ぎ、1998年には若手演奏家育成のための賞を設立。サンクトペテルブルグ音楽院の優れた学生に奨学金制度を設けている。1999年の12月からはサンクトペテルブルグで「“芸術広場”音楽祭(インターナショナル・ウィンター・フェスティヴァル・アート・スクウェア)」を毎年開催している。


<サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団プロフィール>
 1882年皇帝アレクサンドル3世の勅令により設立された、芸術の国ロシア最古の交響楽団。鉄の壁ソ連邦の時代においてもクレンペラー、ワルター、ワインガルトナー、ニキシュなどの著名指揮者が客演し、ホロヴィッツやプロコフィエフがソリストとして共演。R.シュトラウス、マーラー、ブルックナーなど数々の重要作品のソ連初演を行っている。ベートーヴェンの傑作「壮厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」の世界初演を行ったのも同楽団である(1824年サンクトペテルブルグ)。

 古くは1802年に設立された「フィルハーモニー協会」を前身とし、20世紀初頭までは主に貴族階級のための楽団であった。1917年、2月革命の後、国立フィルハーモニー管弦楽団と改称されてクーセヴィツキーが初代指揮者に迎えられた。サンクトペテルブルグからペトログラード、そしてレニングラードからまたサンクトペテルブルグへという都市名の変換に伴い、1991年には長年親しまれた「レニングラード・フィル」という名称より「サンクトペテルブルグ・フィル」と改名され、現在に至っている。
1938年にエフゲニー・ムラヴィンスキーが音楽監督に就任し、約50年間に渡ってその座に留まる。 その厳しい統率の下でソリスト集団が繰り広げた一糸乱れぬ演奏は、西欧諸国に大きな衝撃を与え、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの名前は全世界に轟き渡る。

 サンクトペテルブルグ・フィルは海外でツアーを行った最初のソ連のオーケストラであり、第2次大戦後は、ヨーロッパ、アジア、アメリカほか全世界へツアーを行い、ストコフスキー、ミュンシュ、クリュイタンス、マルケヴィッチ、クリップス、コダーイ、ブリテンなども指揮台に迎えている。ルツェルン、ザルツブルク、ラインガウ、エディンバラ、BBCプロムスといった主要音楽祭へも定期的に出演。

 1988年ムラヴィンスキーが死去した後、団員の投票により、ユーリー・テミルカーノフが同楽団の音楽監督に就任。11年に及ぶキーロフ・オペラ芸術監督時代に演出も手がけたテミルカーノフの造詣の深さと芸術性により、サンクトペテルブルグ・フィルは今第2の黄金時代を迎えている。

 同楽団のレパートリーの中でショスタコーヴィチの作品は特別な位置を占め、同作曲家が世界に認められるきっかけとなった交響曲第1番を含む数多くの作品の初演を行い、1975年、作曲家の死とともに「ドミトリー・ショスタコーヴィチ記念」を名称に冠するようになった。
 テミルカーノフ指揮による録音はBMGクラシックスより、マリス・ヤンソンスとの共演による録音はEMIより、ウラディーミル・アシュケナージとの録音はデッカよりそれぞれリリースされている。

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