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エフゲニー・キーシン ロンドン公演レポート

 実のところ、しばらくキーシンの演奏を聴いていなかった。最後に聴いたのは、コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏・録音していた頃だったのではないだろうか。その時の印象は、30代に入って天才ピアニストのイメージを脱皮すべくベートーヴェンの大作に取り組み、またオーケストラとの対話を通して音楽家としての自分を深めようと模索しているというものだった。
 それから十年以上たったが、今回のロンドンでのリサイタルでキーシンがメインに据えたのもベートーヴェン、しかもピアノ・ソナタのうちもっとも壮大かつ難曲の《ハンマークラヴィーア》。その演奏には、十年前にはまだなかった大家の風格が感じられ、キーシンが40代を迎えて円熟期にきていることを実感した。若い頃の彼は、神か宿命か、外から突き動かされるかのように弾いていると思うこともあったが、今回《ハンマークラヴィーア》を奏する姿からは、自身のピアニズムをさらに極めようとするキーシンの内なる意思の強さが感じられ、聴衆は最初の和音から彼の気迫に圧倒されっぱなしだった。
 今回改めて驚いたのはキーシンの打鍵の強靭さだ。《ハンマークラヴィーア》の第1楽章の主要主題の輝かしさ、一つ一つのスフォルツァンドのアタックの鋭さ、対位法部分での各声部をくっきりと浮かび上がらせる手腕。それはベートーヴェンを初期ロマン派の詩情からとらえるいわばヒストリカルなアプローチとは一線を画し、時代を超越する大作として、スタインウェイ・コンサート・グランドの輝かしいサウンドをフルに活かしたきわめてモダンなベートーヴェン像なのだ。
 続くスケルツォ楽章はすごいドライブ感で一気に駆け抜ける。個人的にはここはユーモアあるいは諧謔性で一呼吸入れたいところではあるが、キーシンは前進あるのみ。キレッキレのリズムと集中力で脇目も振らず弾き切る。
 しかし、この曲の心臓部ともいえる長大かつ深遠なアダージョ・ソステヌートでは、一転して抒情的な表情を見せ、息の長いフレーズ感と和声感によって曲のエモーショナルな核を掘り下げていく。とりわけクライマックスに上り詰めるところでは並々ならぬ気迫を感じた。そして終楽章ではふたたび強い意思をもってフーガを展開、最後まで息をつかせない圧倒的な演奏だった。 ほとんどのピアニストがプログラム後半に持ってくる《ハンマークラヴィーア》を前半で弾いてしまうところがキーシンの凄いところだが、後半も十分に重厚感のあるプログラムで、ラフマニノフの《前奏曲集》作品23と作品32のから合計10曲をセレクト。母国を離れて久しいキーシンだが、ラフマニノフを弾く時にはいくばくかの郷愁を感じるのではないだろうか。ロシアの大地を思わせる骨太な響きと力強いタッチで、一曲一曲のキャラクターをダイナミックに描いた躍動感のある演奏であったが、より繊細な色彩のラフマニノフを好む方には意見が分かれそうだ(実際、英国『オブザーバー』紙の評はやや辛口だった)。個人的には、作品23-3の前奏曲の歯切れの良いリズムと低音域の重厚さ、作品32-12の流れるような右手の分散和音のもとで展開される陰影に富んだメランコリックな旋律が印象に残った。
 これだけ弾いてもまだまだエネルギーたっぷりなキーシンは、聴衆のスタンディング・オヴェーションに応えてさらにアンコール4曲を披露。スクリャービンの前奏曲作品2-1に続いて、キーシン自身作のジャズ風の《トッカータ》??ここではエンタテイナーぶりを発揮してとても楽しそうに弾いていたのが印象的。さらにラフマニノフのポピュラーな前奏曲作品3-2で聴衆を沸かせ、最後はチャイコフスキーの《瞑想曲》で締めくくった。英国の聴衆はカーテンコールでの拍手はわりとあっさりしているのだが、この時ばかりはキーシンが舞台を去ったあともしばらくホールは興奮のうずに包まれていた。
(3月29日、ロンドン、バービカン・ホール)

文:後藤 菜穂子(音楽ライター/ロンドン在住)

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精神的深まりと重み―。究極のピアニストが築く、金字塔。
エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル2018年11月6日(火) 19:00 サントリーホール
2018年11月14日(水) 19:00 東京芸術劇場 コンサートホール

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