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湯山玲子氏が観たブルガリア国立歌劇場~カルメン 前半

とうとう、今回の旅の目的である、 ブルガリア国立歌劇場による、オペラ『カルメンcarmen』と『トゥーランドットTorandot』の日々がやってきた。今回は早めに現地に入ったために、フォークダンスを踊ったり、村の僧侶と飲んだり、教会音楽に耽溺した数日を経てからのオペラ鑑賞だったわけだが、これが意外に正解だったのですよ。 もはや、21世紀においてのオペラのようなグローバル表現は、演出においてお国柄のエキゾチズムを背負ったりしないわけで、事前にすでに映像にてインプットしてあった『カルメン』もいわゆるモダン演出。演出のプラーメン・カターロフ(彼は劇場総裁でもある)の手によるプログラムの解説を読むと、今回の舞台のモチーフはギリシャ悲劇と日本の能、なのだという。舞台のセンターには真紅の円形のステージがあり、その前方にはそれを2/5ほど取り囲む真紅の円弧、上3/5は灰色のコロスたちの立ち位置である階段円弧が3つ設けられている。遠目にはピクトのようにも思えるその幾何学的な配置は、男女関係の「俗」が展開する物語の舞台装置としては、真逆をいくセンスだ。 そう、それはブレヒトが唱えた、慣れ親しんだものを、未知のものに見せる「異化効果」的ではあるが、しかし、実際に現地で観てみると、その舞台表現からは、この短期間に体験した「ブルガリア的」な部分が浮き彫りになってくる。日本の各地を旅行した外国人が、当地で体験した歌舞伎や文楽やコムデギャルソンの服の中に、寺の鐘の音や雪の夜の静けさや、伝統的な日本家屋や高級寿司屋の空間を感じるというような話、なのかもしれません。

 ブルガリア的、なものの筆頭は、まずは歌唱力と合唱力という歌声の力だ。日本人が合唱、いやクラシック音楽に触れる大きなきっかけというものは学校教育。かつては『大地讃頌』、今はアンジェラ・アキの『手紙~拝啓十五の君へ』ということですね。しかし、ブルガリア国民にとっての合唱とは、ブルガリア正教会(ギリシャ正教会と同グループに属する東方正教会に属する)とともに、毎日のように教会に行き、ミサの中でそれを聴き、祈り、歌う、という、生まれてから死ぬまでの生活の中に組み込まれているもの。

ソフィアで最大のアレクサンドル・ネフスキー寺院を始め、鐘が鳴るとそれが合図とばかりに近くの教会を訪れるたびに、天上から降ってくるがごとくの教会合唱音楽の和声の塊にいちいち遭遇する。普通の老若男女が朝夕のミサをはじめとして普通に立ち寄り十字を切ってお祈りしていく姿を間近に見ながらの、教会に響き渡るその音響と祈りの声は、その伽藍の環境の中でこの世とあの世を紡ぐように響き渡る。そんな特別な環境で鍛えられた耳、そして、実際にミサに歌い手として参加しつつ、プロの声楽家となった「声の力」は、当たり前だが、確実にブルガリア歌劇場のオペラ表現に反映していた。 役付の歌手はもちろんのこと、合唱に関しては「合わせる」ということを目的とするのではなく、ひとつの到達点を皆が共有し、そこに個々の表現の調整をして「響き」に持っていく、といった趣。シングライクトーキング、というポップス用語があるが、その「語るように歌う」ことにほとんど適していないクラシック声楽が、このブルガリア国立歌劇場のメンバーだと、意図も容易くその境地に達してしまうのには驚いた。

後半へ続く・・・

<湯山玲子>
日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。自らが寿司を握るユニット「美人寿司」、クラシックを爆音で聴く「爆音クラシック(通称・爆クラ)」を主宰するなど多彩に活動。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッションなど、カルチャー界全般を牽引する。著書に『クラブカルチャー』(毎日新聞社)、『四十路越え!』(角川文庫)、『女装する女』(新潮新書)、『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『ベルばら手帖』(マガジンハウス)、『快楽上等!』(上野千鶴子さんとの共著。幻冬舎)、『男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋』(KADOKAWA)などがある。
湯山玲子公式サイト:http://yuyamareiko.blogspot.com/

ブルガリア国立歌劇場
10月5日(金) 18:30 「カルメン」
10月6日(土) 15:00 「カルメン」
10月8日(月・祝) 15:00 「トゥーランドット」
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