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"一期一会"のいい舞台~ブルガリア国立歌劇場のトゥーランドット 後半

著述家・プロデューサーの湯山玲子氏による、トゥーランドット公演レポート後半ぜひご覧ください!

圧巻だったのはタイトルロールの歌手たちである。1日前の『カルメン』のカルメン役は、超当たり役のナディア・クラスティヴァ急病により、日本公演にもキャスティングされていない代役での公演だったため、いまひとつ精彩を欠いたが、今回は本当に素晴らしい。トゥーランドット姫役は、METのヴェルディ作曲の『マクベス』で、ネトレプコの代役を務めた実力派のガブリエラ・ゲオルギエヴァ(Gabriela Georgieva)。ヴェルディの『吟遊詩人』など、リリコ・スピント系のレパートリーが得意と聞いていたが、暴力性を声に秘め、分厚いオーケストラや合唱をも圧するような中・高音域が豊かで十分にドラマティック。この役は、実は最初に姿を現した時、その空間を支配する一種の「圧力」というものが重要なのだが(最初にテラスに姿を現すその一瞬から勝負は始まっている!)、何人もの求婚者たちの首をはね続けて平気の平左である、冷徹な残酷姫ぶりがバッチリ決まっている。ドラマチックでありながら冷酷、しかし、愛に目覚めるラストではまるで大輪の花が咲くような情熱のほとばしりを見せなければならないというこの劇的変化というものがこの作品の要であり、半端な歌い手だと、こちらが知っている物語の力を借りなくてはその境地を楽しめないのだが、ゲオルギエヴァの場合、その必要なし。オペラ的なゴージャスな展開が、本当に自然とこちらに染み入っていく。 一方、カラフ役も負けてはいない。演じたのは、ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場など世界の主要劇場を舞台に活躍中のドラマチック・テノール、カメン・チャネフ(Kamen Chanev)。単純に考えてこの役、最強猛悪姫の心の鉄壁を突破するという「姫様以上」の男ぶりを見せなければならない、という難しさがある。しかも、それは力で屈服させるのではなく愛の力。ということはマッチョではなく「優しくてしかも強い」という声が、この役には必要なのだが、チャネフはまさにそういった声質の持ち主。有名アリア『誰も寝てはならぬ』の聴かせどころ、ラストの高音炸裂の上に、最後の最後で超高温で締めくくる歌いっぷりも「強いけど甘い」雰囲気を伝えてくる。そして、忘れてはいけないのが、リュー役のラドスティーナ・ニコラエヴァ(Radostina Nikolaeva)。前日の『カルメン』のミカエラ役にひとりうまい歌い手がいるな、と思っていたのが彼女。この役柄、実はこの演目に深みを出している原因のひとつで、カラフの愛ゆえの献身、と単純に清らかなキャラでリューの役柄を捉えてはつまらない。「報われない恋ならば、死を恐れず愛する男の人生に決定的な刻印を残す」という、泉鏡花か谷崎潤一郎か、という女の情念系が入り混じってこそのリュー役なのだが、とニコラエヴァの存在と声は清らかさの中に独特の含みがあり、その欲求にみごとに応えている。

さて、ブルガリア正教会と国民との関係の深さ、そのミサの一翼を成す合唱の存在については、前述の『カルメン』で述べたが、その真骨頂は実は『トゥーランドット』にこそあった。第一幕の群衆による「どうして月の出は遅いのだろう」という合唱の一小節を聞くや否や、その音像にびっくり。犠牲者を見送る群衆の恐怖と畏敬に対して、プッチーニは官能的とも言える和声とメロディーを用意したが、ブルガリア歌劇場のそれは「人々の肉声」というよりも、漆黒の暗闇そのものの「空気の音」のような異様な透明感があるのだ。例えるならば、マイリンスキー劇場の『白鳥の湖』の一糸乱れず幽玄めいたコールドバレエ(群舞)のごとし。この部分は今回の聴きどころでもあるので、お見逃しなく。

オペラは特に「いい舞台との出会い」が、その後のオペラ観を決定することになるが、ブルガリア国立歌劇場の日本公演と同演目の今回のセットはまさにそういう一期一会になりそう。スター歌手がいるわけではない。しかし、本当の音楽好き、芸術を愛する観客にとっては、オペラという表現の理想的な出会いとなるに違いない。

前半はこちらから

<湯山玲子>
日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。自らが寿司を握るユニット「美人寿司」、クラシックを爆音で聴く「爆音クラシック(通称・爆クラ)」を主宰するなど多彩に活動。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッションなど、カルチャー界全般を牽引する。著書に『クラブカルチャー』(毎日新聞社)、『四十路越え!』(角川文庫)、『女装する女』(新潮新書)、『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『ベルばら手帖』(マガジンハウス)、『快楽上等!』(上野千鶴子さんとの共著。幻冬舎)、『男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋』(KADOKAWA)などがある。
湯山玲子公式サイト:http://yuyamareiko.blogspot.com/

<ブルガリア国立歌劇場>
10月5日(金) 18:30 「カルメン」
10月6日(土) 15:00 「カルメン」
10月8日(月・祝) 15:00 「トゥーランドット」
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