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横山幸雄 インタビュー:ベートーヴェン・プラス Vol.5について

 横山幸雄は、ベートーヴェン生誕250年の2020年に向け、2013年に《ベートーヴェン・プラス》を始動。このベートーヴェンが作曲したピアノ独奏曲の全曲演奏シリーズは、この9月に5回目を迎える。今回は、ベートーヴェンの30代前半のピアノ・ソナタとその周辺の作品が選ばれている。メインとなっているのは、『ワルトシュタイン』と『熱情』という、この時期のベートーヴェンの傑作中の傑作だ。
『熱情』は、ドラマティックでエネルギッシュで…そしてロマンティックな部分もあり、多くの人がイメージするいかにもベートーヴェンらしい彼の創作の頂点をなす作品だと感じています。『ワルトシュタイン』はキャラクターがまったく違います。『熱情』や交響曲の『運命』のような深刻さはありません。『ワルトシュタイン』には、壮大なスケールをもったシンフォニーのようなスケール感があると思います。

難聴の症状が悪化したベートーヴェンは、1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。その絶望の淵から這い上がり、新たな創作に向かっていた1803年、フランスのエラール社から新型のピアノを贈られ、そのピアノを使って『ワルトシュタイン』や『熱情』を書き上げた。音域が広がり、ダイナミックな表現が可能になったこのピアノは、彼に新な創作をもたらした。
ベートーヴェンは、第1番~第3番までのピアノ・ソナタを作品番号2としてまとめて刊行しています。そのなかの第3番は、『ワルトシュタイン』と同じハ長調で書かれていますが、最初期のソナタにしてスケール感、音域の広さ、ダイナミックの幅、そして突き進むエネルギーにいたるまで、それまでのハイドン、モーツァルトとは比べ物にならないくらいほどの作品で、その後の『ワルトシュタイン』を先取りしています。

また、「ワルトシュタイン」と「熱情」の間に、ベートーヴェンは第22番を作曲している。
普段よく演奏される作品ではなく、私自身も20代で挑んだベートーヴェンの全曲演奏以来、一度も弾いていないのです。でも、『ワルトシュタイン』と『熱情』の間にベートーヴェンがこの曲を書いたことを聴いていただきたい。メロディらしいメロディがあまりないのです。実験的な作品のようでもあり、ちょっと特殊ですね。このソナタは確かに短いですが、いわゆる初心者向けの作品ではありません。
 
そして今回、変奏曲をソナタとともにプログラムの柱に据えた。
変奏曲ということでいけば、『熱情』の第2楽章も変奏曲です。今回のベートーヴェンのプログラムは、変奏曲で始まり、変奏曲で結んでいます。変奏曲のなかでも、特に《エロイカ変奏曲》は、彼のこの時期の傑作です。

《エロイカ変奏曲》について、
原形、つまりテーマをほぐしたスケッチのようなところから始まり、音を加えてゆき、ようやくテーマが現われます。これは新しい試みで、《パガニーニ変奏曲》と同じくとてもシンプルなテーマです。それが積み重なってゆき、スケール感の大きな音楽となっていくのです。つまり、バスの進行から始まり、そこにさまざまな変奏が施されていってテーマが登場するのです。

《創作主題による6つの変奏曲》は、《エロイカ変奏曲》と作品番号も34、35と続く。
この変奏曲は、バリエーションが1曲ずつテンポを変えてゆく点で、それまでのモーツァルトやハイドンの変奏曲にはないスタイルの作品です。べートーヴェンの時代に彼がこれを手掛けたのは、画期的だったと思います。

この2つの変奏曲を続けて作曲したベートーヴェンの気持ちは、どうだったのだろう?
ベートーヴェンにとって変奏曲は、一種の実験だったのではないかと思います。ひとつのモティーフをどこまで展開できるか、と。非常にコンパクトですが、テンポまですべて違う形で書かれた《創作主題による6つのの変奏曲》と、30分近くかかる《エロイカ変奏曲》は対のようであり、まったく違う作品ですね。

ベートーヴェンを敬愛し、彼を追い続けた作曲家は数多い。その一人が、ブラームスである。
ベートーヴェンに憧れた作曲家はたくさんいますけれど、例えば、シューベルトよりもブラームスの方がベートーヴェンに近い感じはあります。構成的に、シューマンの変奏曲の方がもっと自由です。それに比べると、後輩ではありますがブラームスは古典的な意味での変奏曲でしょうか。そういう近親性はあると思います。

このシリーズでは、ブラームスの《パガニーニの主題による変奏曲》を取り上げる。
変奏曲、特に《パガニーニの主題による変奏曲》のような作品は、ハーモニー進行が比較的単純で、それが変奏ごとに繰り返されます。繰り返されることによる快感が、この変奏曲にはあるのではないかと。また、非常に技巧的な作品でもあります。ベートーヴェンの技巧的なものとも違うし、リストやショパンの技巧的なものとも違う、このブラ―ムスならではの技巧が駆使された作品です。

プログラムの流れは、ブラームスからショパンへと移る。
『熱情』をベートーヴェンが書いたのと、ショパンが《ピアノ・ソナタ 第3番》を書いた年齢はほぼ同じです。ショパンの《ピアノ・ソナタ 第3番》のフィナーレはベートーヴェンの『熱情』のフィナーレにつながるような圧倒的な迫力がありますね。ショパンの《ピアノ・ソナタ 第3番》に関しては、4つの楽章はまったく違うもので、それぞれが独立しているように思います。

確かに、ショパンの《ピアノ・ソナタ 第3番》には、とくに第1楽章については威厳のある楽想が漲っており、ベートーヴェンに通じるものがある。
ショパンの《ピアノ・ソナタ 第2番》ですが、第3楽章は葬送行進曲です。ベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ 第12番》の第3楽章も葬送行進曲ですが、その第4楽章も、ショパンの第2番のピアノ・ソナタの第4楽章と同じく無窮動なのです。第3楽章の葬送行進曲と第4楽章の流れは、ベートーヴェンに対する意識を相当もっていたと思います。『弟子からショパン』という本に書いていたように思いますが、弟子たちが言い伝えていることのなかに、ショパンはベートーヴェンの作品のいくつかを好んでおり、《ピアノ・ソナタ 第12番》もそのなかに入っています。プログラムの第5部で、フランスの風が入ってくる。
今年はドビュッシー没後100年です。ドビュッシーの30代の作品について考えたとき、《牧神の午後への前奏曲》が最初に浮かびました。この作品は、20年ほど前に録音して以来、弾いていないのです。まわりのみなさまからの勧めや希望もあり、このシリーズで取り上げました。

《牧神の午後への前奏曲》はもともとオーケストラ作品で、それを横山はピアノ独奏用に編み直した。作曲も手掛ける横山は、編曲の際にどのようなことを心掛けているのだろう?
オーケストラにはいろいろな楽器がありますが、その楽器を一人で弾くのと、オーケストラで弾くのとでは、聴こえ方がまったく違いますね。要するに、スコアをそのままアレンジしても、実際にオーケストラを聴いているようにはならない。ドビュッシーのような色彩感とオーケストラ的な奥行きや広がりを出せればと思いました。スコアに書いてない音も書いていますが、それはオーケストラとして聴こえてくるようにイメージした音です。

そしてプログラムを締めくくるのは、ラヴェルの《夜のガスパール》。横山はフランス時代、ペルルミュテールやルヴィエのもとで研鑽を積んだ。ペルルミュテールは、ラヴェルの直弟子だ。
ペルルミュテールはラヴェルの直弟子ですし、ルヴィエはペルルミュテールに習った人です。確かに、先生の教えには『ラヴェルはこう言った』ということも含まれていますし、それがペルルミュテールの言葉になっている部分もあると思います。ペルルミュテールやルヴィエらのフィルターを通して、非常に近いところでラヴェルを見ているという感覚がありました。レッスン中に弾いていただいたなかにも、その息遣いやちょっとした所作から感じるものなどもありました。

《夜のガスパール》をプログラムの最後に置いた。
この作品が書かれたのもラヴェルが30代の頃で、彼の最高傑作だと思います。3曲の組曲からなっていて、3楽章構成のピアノ・ソナタのようにも考えられるのですが…1曲目は非常にデリケートな『オンディーヌ』。メロディはゆったりとしているのですが、背景になっている非常に繊細な音の表現には、得も言われぬ独特の響きや色彩感があります。2曲目は『絞首台』。1曲目も2曲目もテンポとしてはゆっくりですが、2曲目は音の動き自体がゆっくりなので、ソナタで言えば緩徐楽章の役目をもっています。不気味な音楽ですが、イマジネーション豊かな音楽です。3曲目の『スカルボ』は基本的に速い部分が多く、音符も多く、飛び回るようなパッセージも多い。スカルボとは小さな悪魔のようなものです。スカルボを描写しているというわけでは必ずしもないのですが、そこからインスピレーションを得た作品です。

《夜のガスパール》は、ピアノ曲のなかでも最も難易度の高い作品のひとつとして知られる。横山がこの曲を初めて演奏したのは、中学3年生の時だそうだ。
細かいことは覚えていませんが、『スカルボ』を譜読みから1週間ほどでステージで弾いたのを覚えています。難しさはありますが、手にはまりやすいのです。その一方で、手にはまりにくい曲もあり、シューベルトやシューマンに多いですね。その点、ショパンやリスト、ラフマニノフはピアノのうまい作曲家でした。彼らの作品には手にはまりにくい曲は少ないのです。シューマンはイメージのなかで曲を書いているし、ブラームスやバッハのように書法上、ここはこうあるべきと書いている作曲家もいるなかで、ラヴェルはピアノがそんなに上手だったわけではなさそうですが、どうやったら指が動かしやすいかをわかったうえで書いているのです。
今回のシリーズの特徴に、30代でひとつの黄金期をなし得たベートーヴェンの作品を中心に、ほかの作曲家の30代の作品も見ていくところがあげられる。
作曲家の30代は、一番面白い時期ではないかと思います。ベートーヴェンはある意味で、ロマンティックな作風のひとつの頂点の時期ですし、ショパンにとっては30代前半に創作活動のピークが訪れ、30代の最後には亡くなってしまいます。逆にブラームスは、もう少し若いころにエネルギッシュに作曲した時期がありましたが、30代ではまだ交響曲を書き上げていません。また、ドビュッシーのように、この時期から本格的な作品を書き進めてゆく人もいます。ラヴェルは20代の頃に《亡き王女のためのパヴァーヌ》や《水の戯れ》を作曲した後は、推敲に推敲を重ねて作品を世に出していました

横山自身の30代を振り返ってもらう。
20代でショパンの全曲演奏を一回やり、20代の終わる頃にベートーヴェンの全曲演奏をやりました。そして30代…デビューしてから10年経った頃ですが、そこから作曲や教える活動などのフィールドが広がりました。また、レパートリーもまだ拡大していた時期でした。もうひとつ…ショパンが39歳で亡くなっていることに対して、特に彼が亡くなる年齢を超えるとき、それをひときわ強く意識しました。

ベートーヴェン・プラスをお聴きになるお客さまへのメッセージ
今回もまさに『ザ・ベートーヴェン』といったプログラムです。今までは、このステージにたどり着くための道のりだったと言ってもよいかもしれません。初めて来てくださるお客さまは、いきなりメインディッシュを迎えるという感じかもしれません。僕の演奏会は長いのですが、そんなに長いと疲れてしまうのではと思っておられる人もいるかもしれません。逆に、長い方がリラックスできるのです。自分の家のリビングでくつろいでテレビ見ながら過ごすように、聴いていただければ良いと思います。

その長い演奏会で弾き続ける横山は、疲れを知らないのだろうか。
それまでに準備ができていれば楽しく演奏できると思います。むしろ、その準備が大変です。みなさまに体力面を心配されますが、今回は11時から4時半…もしもその時間が空いていれば普通に練習し、ピアノを弾いたまま過ごすことはしょっちゅうあります。短い演奏会の方が緊張するのです。スロースターターなので、良いところに来たらそのままずっと持続できるので、長い演奏会は好きです。

道下京子(音楽評論)
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横山幸雄が2020年ベートーヴェン生誕250年に向けピアノ独奏曲全曲演奏に臨むシリーズ
横山幸雄 ピアノ・リサイタル <ベートーヴェン・プラス Vol.5>

2018年9月23日(日・祝) 11:00 東京オペラシティ コンサートホール 詳しい公演情報はこちらから