2018/9/21

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ヤンソンス指揮のマーラー「第7交響曲」を聴くかどうか迷っている方のために![バイエルン放送交響楽団]

11月に来日するマリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団。音楽評論家の東条碩夫氏による「ヤンソンス指揮のマーラー「第7交響曲」を聴くかどうか迷っている方のために!」ぜひご覧ください。

マーラーの「交響曲第7番《夜の歌》」は、不思議な曲だ。
それゆえに、いちばん面白い曲だ、と言えるかもしれない。第1楽章は、冒頭からしてミステリアスで、ものものしい。
序奏主題を最初に提示するのはなんとテノール・ホルン。珍しい音色だ(2分ほど経つとこの主題は、1961年に日本でもヒットした「霧の中のジョニー」の「Johnny,remember me」の個所のフシと同じになる)。 それはともかく、この曲は、フィナーレを除く最初の4つの楽章に、まさに「夜の歌」という言葉にふさわしい神秘的な雰囲気が満ちている。もともと「夜の歌」という副題は、第2楽章と第4楽章に「夜曲」(Nachtmusik)と副題が付けられているところから出たものだ。だが、その2つの楽章にも、最弱音のさなかに突然ティンパニが最強奏で轟くといったような、マーラー特有の奔放な曲想が入り交じる。しかも第4楽章にはギターとマンドリンまで入って来て、セレナード的な雰囲気までつくり出すのである。
 そして、それら「夜曲」の間に挟まる第3楽章には、マーラーは「影のように」という指定をつけた。そこには奇抜な奏法による怪奇な表情が次々に現われ、マーラーの前衛的感覚をうかがわせて魅力的だ。 が、最も不思議なのは、フィナーレ――第5楽章である。それまでの4つの楽章におけるミステリアスな雰囲気などどこへやら、とつぜん暴発的な躁状態といった音楽と化してしまうのだ。冒頭のティンパニのソロからして、異様な興奮状態を感じさせるのではないか。昔から、マーラーの研究家や愛好家を悩ませてきたのはここだ。「なぜ、いきなりこうなるのか」というわけである。それはマーラーの皮肉か?あるいは、彼の中にある極端に対照的な性格が、またもやここでも顕れたと解釈すべきなのか?
 さまざまな考え方が可能だが、その謎解きの一助となるのは、指揮者の解釈だ。今回はそれらを、マリス・ヤンソンスの円熟の指揮で聴いてみたい。全曲を、矛盾を厭わずばらばらのままで流すか、または、明暗のコントラストとして論理的に描き出すか、あるいは、光と影の表裏一体というイメージで構築するか――。 なにしろ前回の来日で、同じマーラーの「第9交響曲」の第4楽章の最後を、筆舌に尽くし難いほど見事な安息感で結んでみせたヤンソンスだ。今度の「7番」も、並みの解釈には収まらぬはずである。

東条碩夫(音楽評論)

▼バイエルン放送交響楽団の新しい瓦版は下記画像をクリックするとご覧いただけます▼

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現代オーケストラ芸術の極み!! 巨匠&世界最高峰の楽団
マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

2018年11月22日(木) 19:00開演 東京芸術劇場 コンサートホール
《プログラム》
 マーラー:交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」

2018年11月26日(月) 19:00開演 サントリーホール
《プログラム》
 リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 S. 124/R. 455 (ピアノ:エフゲニー・キーシン)
 R. シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40

2018年11月27日(火) 19:00開演 サントリーホール
 リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 S. 124/R. 455 (ピアノ:エフゲニー・キーシン)
 ストラヴィンスキー:バレエ音楽 「春の祭典」

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