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About 川久保賜紀(連載第1回) エピソードを加筆しました!

ヴァイオリニスト川久保賜紀は、チャイコフスキー国際コンクールで世界中の注目を集め、日本デビューしてから20年の節目を迎えます。ウェブ限定で「About 川久保賜紀」連載(ききて:千葉 望)がスタート。どうぞお楽しみに!様々な角度から等身大の彼女の魅力に触れていただき、ぜひ演奏会へ足をお運び下さい。川久保賜紀(以下、川久保)のステージは、笑顔とともに始まる。ドアが開くと彼女はすっと背筋を伸ばし、微笑みながらゆったりと中央に進んでいく。それは、アメリカで暮らしていた当時の恩師、ロバート・リプセット(コルボーン音楽院)の教えだ。シャイな日本育ちの音楽家たちはステージ上でもどこか控えめにふるまうことが多いが、アメリカ・ロサンゼルスで生まれ育った川久保の明るい個性は、ステージでも発揮されるのだ。

川久保は広島からアメリカに移住して歯科技工士として働く両親のもと、三姉妹の真ん中に生まれた。両親は音楽好きで、工房にはいつもラジオからクラシック音楽が流れていたという。ただ、父も母も幼少期は楽器を習える環境にはなかった。そのため娘たちには楽器の弾ける喜びを味わってもらいたいと、長女にはピアノ、次女にはヴァイオリン、三女にはチェロを習わせた。

川久保が近所に住んでいた韓国系アメリカ人のスム・パークから鈴木メソッドでヴァイオリンを習い始めたのは5歳の時だった。川久保のおば・中山久美子さん(母の姉)は同じロサンゼルスに住んでいたことから、年子だった川久保と妹の面倒を見るため、たびたび川久保家に滞在した。
「賜紀はけっこう人見知りだったのに、家族でのど自慢などをやるときは前に出て歌うのが大好き。拍手をもらうのも大好きでした。音楽のことになると人より前に出ないと気が済まないところがあったんです。そうは見えないけれど、けっこう負けず嫌いでしたね」(中山さん)

完璧主義で、いったん練習を始めると納得がいくまで続けたがる。食事に呼んでもなかなか現れないほど、集中力があった。3年ほど習ったところで、「ロスの中に素晴らしい先生がいる」と聞き、リプセットのもとに通い始める。

川久保「それまではメヌエットなど小さな曲を練習していましたが、リプセット先生のところで初めてディベリオの協奏曲のレッスンを受けたんです。ちょうどカリフォルニア州サンアントニオにシーワールドがオープンしたころで、グランドオープンではその曲を弾かせてもらいました。人前で弾くのが好きだったのかなあ。先生は一人で練習しているだけではダメで、人前で弾くことが訓練になるという考え方をなさっていました」テキサス・サンアントニオのシーワールドでオープニングに出演する際のホテルにて。8歳くらい。

オープニングの演奏の後には大きなイルカのぬいぐるみをもらった。お客が多ければ多いほど、やる気が出る川久保には、リプセットの指導は肌に合ったにちがいない。リプセットとのレッスンは段階を踏みながら少しずつ本格的なものになっていった。プロになるイメージはなかったというが、リプセットは川久保にいろいろな経験を積ませ、アメリカのオーケストラと共演する機会も与えた(16歳の時にはマネジメントがついた)。

川久保「そのときに『将来はプロになるのかな』と考え始めました。当時は協奏曲だとモーツァルト、ブルッフ、サン=サーンスは習っていましたが、ブラームスやベートーヴェンはまだでしたね」
日本育ちであれば、国内のジュニアコンクールからシニアのコンクールに挑戦し、上位入賞者はその世界の中でそろそろ名前が知られるころだろう。川久保はアメリカでキャリアをスタートさせたため、この時期はまだ、日本はもちろん欧米でもコンクールに挑んでいない。ハウスコンサート、LAの時の先生、リプセット先生と。10歳くらい?

14歳のとき、両親の仕事の都合でニューヨークへ移り、ジュリアード音楽院に入学する。ここでは川崎雅夫やドロシー・ディレイに師事した。ロスでは普通の公立の学校だったが、ジュリアードで初めてクラシック音楽やジャズ、ミュージカル、演劇などを志す仲間たちと学校生活を送った。
川久保「音楽を志す若者が集まることで生まれる熱気はすごかったですね。ハイパワー、ハイエナジー! ヴァイオリンだとサラ・チャンとかヒラリー・ハーンもいました。刺激いっぱいの毎日でした」

第2回はこちらから

千葉 望(ライター)
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進化し続ける二人の実力派、夢の共演!
川久保賜紀&小菅優 ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会
2019年3月11日(月) 19:00 紀尾井ホール
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