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About 川久保賜紀(連載第4回)

ヴァイオリニスト川久保賜紀のウェブ限定の連載「About 川久保賜紀」第4回。2019年3月11日、東京の紀尾井ホールで川久保賜紀とピアニストの小菅優による、「ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会」が開かれた。ふたりは以前から親しく、ドイツでルームシェアをして暮らしていたほど。川久保はアメリカ生まれのアメリカ育ち、小菅は東京生まれだが10歳でドイツに移住し、拠点を欧州に置いてきた。小菅が言う。

「私が知り合ったのは、日本で樫本大進さんが開いた食事会での席上です。その時は大勢人が集まっていたのですぐ親しくなったわけではありませんでしたが、その後ワシントンで行われた室内楽のプロジェクトで再会して仲良くなったんです。室内楽の仲間たちはお互いに演奏会に呼び合うことが多く、2017年はベートーヴェンのカルテットに参加してもらいました。賜紀ちゃんは自然な音楽性があって、人柄も出ていると思いますね。みんなを引きつける温かみや、魅力的な自由さを持っていて、コンサートでもその場での自発的なキャッチボールができるのが楽しい。クライスラーみたいにリズム感の大事なものでもうまくいくんです。瞬間的にピタッと合うし、私が投げかけたものがちゃんと返ってくるのがやっていて楽しいですね」<写真:ピアニスト 小菅優>

ブラームスはピアノ・ソナタを創作活動の初期に集中して書いているが、ヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタなら晩年の作品に触れられる。その経験がピアニストとして重要だという。演奏会では川久保の伸びやかな音に小菅のがっちりと構築されたピアノがよく添い、時には競り合って、刺激的な演奏が繰り広げられた。3曲弾き終えた後のふたりの笑顔は晴れ晴れとしていた。

「今、私は日本とベルリンに拠点を置いていますが、以前は私を応援してくれていた方がミュンヘンに持っていた家で一緒に暮らしていました。森の中の大きな家で、地下室にプールがあるくらい(笑)。居間には私のスタインウェイが置いてありました。一緒に暮らしていると言ってもお互いにツアーで忙しいので、1年に会えるのは2~3回でした。基本的には車の運転や大工仕事は私、買い物は賜紀ちゃん。ふたりで料理を作り、お酒を飲んで音楽のことやアメリカのテレビドラマのことなど、おしゃべりする時間が楽しかったですね。会話はいちばんスムーズに話せる英語です」

ふたりとも日本とドイツを行ったり来たりすることが多く、忘れ物を届けあったり、たまっていた手紙を渡したりと楽しい生活だったという。

ふたりは欧州での共演も多い。2015年にはドイツ国内で大きなツアーがあり、2週間を一緒に過ごした。ソロとデュオの組み合わせで、モーツァルトのソナタ、ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタ、ショパンのバラードなどを弾いている。イスラエルにも出かけた。この時はメンデルスゾーンの二重協奏曲も演奏している。

今、川久保は自分の演奏活動の他に後進の指導にも力を入れ始めている。桐朋学園大学大学院大学の教授として、しばしば富山市へ足を運ぶ。キャンパスへ行ってみると広い敷地にゆったりと建物が配置されており、音楽の勉強に集中するには恵まれた環境である。訪ねた日は学生と教員が共にミニコンサートを開いて地元の人たちに披露する日だった。リハーサルにも熱が入っていた。ヴァイオリンの川久保、チェロは元NHK交響楽団の銅銀久弥、ピアノは岡田博美という豪華な教授陣である。ふだんはプロの演奏家の室内楽ばかり聴いているせいか、学生の室内楽では「お互いに聴き合うこと」という基本がなかなかむずかしいものだというのが実感だった。
<写真:チェロ奏者 銅銀久弥(元NHK交響楽団)>

川久保はヴァイオリン科の学生の演奏を聴き、自分で弾いてみせながら細かくアドバイスしていく。彼女の顔にはふだんのにこやかな表情とも、演奏会での真剣な表情とも違うきびしさが垣間見えた。<写真:川久保とヴァイオリン科の学生>

チェロの銅銀に尋ねた。

「川久保さんは何しろヴァイオリンが上手で、ゆるぎない音楽の流れがあるので、ピアノトリオで一緒に演奏していても引き込まれますね。各楽器の特性というものがありますし、室内楽の中でも一人一人が別々にソロを担当するとか、ある時は伴奏にまわるなどいろいろな役割にまわっていくものです。ピアノトリオではヴァイオリンはリード役のことが多いけれど、かなりピアノが音楽を作らないといけません。流れを仕切るのはヴァイオリンとピアノ、しかしチェロが責任を持って進行しないといけないこともあります。それを学生に教えていくわけです。川久保先生はそういうやりとりを、こちらが吸い込まれるように作っていける。チェロが支える時にはそれをきちんと理解してくださるとか。ただし違うのではなく、出来上がった音楽が良いものになるように力を合わせることをご存じです。協調性とはちょっと違うのですが、自分の流れを損なわずにみんなと一緒に進むことが大事。また、それが室内楽の魅力だと思います。それを実現するためには曲の構造を全員がわかっていないといけません。一つの曲の中で絶えず場面が変わる。いわば例外ばかりです。それが室内楽のおもしろさであり、むずかしさでもありますね」

リハーサルでは、ヴァイオリンの学生に銅銀や岡田がアドバイスすることもあった。多面的な学びがあることがチームで教える効用だろう。指導が終わると、教師陣は連れ立ってキャンパス周辺へ食事に行ったり飲みに行ったりすることもあるという。東京のような華やかな街はないが、晴れた日にはすばらしい立山連峰が眺められ、日本海の幸にも恵まれている。自然の中で演奏に集中できる環境は、多忙な川久保にとってリフレッシュの時間にもなっているようである。<写真:川久保賜紀と銅銀久弥>

川久保はアメリカに生まれて音楽教育を受け、ドイツでも学んだ。師のブロンはユダヤ系ロシア人であり、ロシア音楽を徹底して教え込まれたし、ドイツ音楽の文化も吸収することができた。似たような経歴を持つ樫本大進は、

「アメリカと欧州、メソッドの違いはもちろんあります。人それぞれに合うもの合わないものもあるでしょう。ただ、賜紀には確実にプラスになっているんじゃないかな? アメリカの教育システムで基礎を身につけてからブロン先生のところでしっかり学んでいるので、両方わかっているのは大きな武器ですよ」という。

日本には、アメリカのメソッドに否定的な人がいますが、と尋ねてみると、「そういう人は欧州にもいます。でも、僕はアメリカのメソッドをかじっていてよかったと思いますよ。アメリカのメソッドでは欧州よりもより華やかさを求められるんです。どちらが良い悪いではなく、音の理想、感覚の違いというのかな。いろいろあるから楽しいし、聴き比べてみればよいのだと思います」という答えが返ってきた。

そして今、川久保は日本に拠点を置いて活動を続けている。チャイコフスキー国際コンクールをきっかけとして、日本での仕事は格段に増えた。だが彼女の視野は日本だけに置かれているのではない。アメリカ、欧州、イスラエルのような中東あり、アジアあり。演奏のジャンルもソロと室内楽、最近では後進の指導も加わった。アメリカと欧州というふたつの音楽的基盤の上に立った多彩な活動が、これからも彼女の音楽をより豊かなものにしていくにちがいない。

千葉 望(ライター)

About 川久保賜紀 第1回はこちらから
About 川久保賜紀 第2回はこちらから
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◆川久保賜紀のプロフィールなどアーティストの詳細
https://www.japanarts.co.jp/artist/TamakiKAWAKUBO