2019/12/5

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追悼 マリス・ヤンソンス①

マリス・ヤンソンスの訃報に、世界中のファンが悲しみに暮れています。
弊社も、突然のことに言葉もなくここに謹んで哀悼の意を表します。マエストロ・ヤンソンスは、これまでロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とバイエルン放送交響楽団と1年おきに来日。最後の来日となった2016年のバイエルン放送交響楽団まで、人々に深い感動と熱狂を残しました。1986年レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団)との来日公演は、サントリーホールオープニング・シリーズの一環でした。体調を崩した師であるエフゲニー・ムラヴィンスキーに代わりすべての公演を指揮、プログラムをチャイコフスキーの交響曲第5番から第4番に変更しました。
1991年は、モスクワ・フィルハーモニー交響楽団と来日しました。
1994年のレニングラード・フィルハーモニー交響楽団との来日公演は、音楽監督のユーリー・テミルカーノフとともに、当時常任指揮者だったヤンソンスが全国で公演を行いました。1998年、ピッツバーグ交響楽団では、ギドン・クレーメルと、同郷ラトヴィアのリガ出身のミッシャ・マイスキーと共に来日公演を行いました。2002年の来日時には、ヴァイオリンの五嶋みどりと共演。デビュー時から強い信頼関係に結ばれた二人は、その後も長年にわたる信頼を築きました。2002年ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任。
翌年2003年には、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任しました。同団の初来日は2005年で、イェフィム・ブロンフマン、五嶋みどりと共演しました。
この頃、世界中のオーケストラがマエストロを敬愛。その後のバイエル放送交響楽団との来日公演は、2007年サラ・チャンと、2009年にはヨーヨー・マと五嶋みどりを迎え、2012年満を持して行った≪ベートーヴェン交響曲全曲演奏会≫は、明晰で高度なアンサンブルに深い感動を覚えました。そして2年後の2014年は、クリスチャン・ツィメルマンを迎えブラームスのピアノ協奏曲第1を演奏いたしました。
マエストロとは、40余年と弊社の歴史の中でも特筆すべき偉大な功績を残した1人であったこと、また人柄も誠実で暖かであり、その人柄に接しマエストロに深い敬愛の情を持っておりました。
全世界の音楽を愛する人々と共に、マエストロの逝去に心から哀悼の誠を捧げたいと思います。

株式会社ジャパン・アーツ

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