サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団St. Petersburg Philharmonic Orchestra
- オーケストラ
アーティスト・ニュース
- 2020/4/23 「サンクトペテルブルグ・フィル 公演プログラム 寄稿エッセイ ご紹介」~ツアーを華やかに彩る2人のヴァイオリニスト (セルゲイ・ドガージン、庄司沙矢香)(浅松啓介 音楽ライター・ジャーナリスト)
- 2020/4/23 「サンクトペテルブルグ・フィル 公演プログラム 寄稿エッセイ ご紹介」~ピュアで自然な新世代のスター、藤田真央 (寺西基之 音楽評論家)
- 2020/4/23 「サンクトペテルブルグ・フィル 公演プログラム 寄稿エッセイ ご紹介」~シューマンのピアノ協奏曲にはたくさんの思い出が詰まっていますーエリソ・ヴィルサラーゼ (伊熊よし子 音楽ジャーナリスト)
- 2020/4/23 「サンクトペテルブルグ・フィル 公演プログラム 寄稿エッセイ ご紹介」~ニコライ・アレクセーエフ インタビュー (取材・構成:ジャパン・アーツ 編集:柴田克彦)
- 2020/4/23 「サンクトペテルブルグ・フィル 公演プログラム 寄稿エッセイ ご紹介」~ユーリ・テミルカーノフ氏に見る’最高の指揮者像” (ひのまどか 音楽作家)
- 2020/4/23 サンクトペテルブルグ・フィル 公演プログラム 寄稿エッセイ ご紹介
- 2020/4/14 ジャパン・アーツぴあ、WEBジャパン・アーツぴあでの購入チケットの払戻期間の延長のお知らせ
- 2020/3/23 [サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団] 指揮者 ニコライ・アレクセーエフ スペシャル・インタビュー
- 2020/3/10 [演奏会レビュー] 名匠ニコライ・アレクセーエフ 新日本フィル (2020年2月15日) を指揮!
- 2020/2/21 【学生限定「SEIKOシート」発売のお知らせ】サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
プロフィールProfile
<ユーリー・テミルカーノフプロフィール (芸術監督・首席指揮者)>
1938年12月10日、コーカサス生まれ。レニングラード音楽院指揮科でイリヤ・ムーシンに師事。1966年第2回全ソ指揮者コンクールで優勝し、コンドラシン、D.オイストラフとともにモスクワ・フィルのアメリカ・ツアーへの同行が実現することとなった。
1966年〜1972年レニングラード・マールイ歌劇場で活躍。1967年ムラヴィンスキーに認められ、アシスタント指揮者として招かれる。1968年からレニングラード響(現サンクトペテルブルグ響)の首席指揮者・音楽監督、1976年〜1988年キーロフ歌劇場(現マリインスキー歌劇場)の芸術監督及び首席指揮者を務め、「エフゲニー・オネーギン」、「スペードの女王」など自ら演出も手掛けた。また、同劇場の歴史上初のイギリスを含むヨーロッパでの公演を行うほか、初めてピット内ではないステージ上での演奏会を行った。
1978年にはロイヤル・フィルを指揮してロンドン・デビュー。1992年〜1998年同楽団の首席指揮者を務め、1998年には名誉指揮者の称号が与えられている。1988年、ムラヴィンスキーの逝去後、楽団員の選挙によってサンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団(旧レニングラード・フィル)の芸術監督・首席指揮者に選出。以来30年間同楽団と密接な関係を築き、2005年にはロシアのオーケストラとして初めてカーネギー・ホールのシーズン開幕演奏会に出演した。この間、1992〜1997年ドレスデン・フィルの客演常任指揮者、1998〜2008年デンマーク王立放送響の首席客演指揮者、2000年〜2006年ボルティモア響の音楽監督、2010〜2012年パルマ王立劇場の音楽監督も務めた。
その他、ヨーロッパでは、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ドレスデン国立歌劇場管、ロンドン・フィル、ロンドン響を始めとする一流オーケストラに客演する一方、アメリカでも1975年から定期的にフィラデルフィア管に招かれ、ボストン響、ロサンゼルス・フィル、ニューヨーク・フィル、クリーヴランド管、シカゴ響等の演奏会にも登場。特に1986年には米ソ文化交流協定再開後、アメリカを訪れた初めてのソ連の指揮者としてニューヨーク・フィルを指揮し、批評家達に絶賛されている。また、1996年にはローマでの国連50周年記念ガラ公演を指揮するなど、欧米で高い評価と人気を誇り、2003年、2007年にはイタリアでプレミオ・アッビアティ賞を受賞。同賞を2度受賞した唯一のロシア人指揮者となった。
ロシア人民芸術家、勲一等勲章を始めとする数々の栄誉に輝き、サンタ・チェチーリア音楽院名誉アカデミー会員、サンクトペテルブルグ音楽院名誉博士、2009年にはサンクトペテルブルグ名誉市民の称号を授かっている。日本でも長年に渉るその功績が高く評価され、2015年5月旭日中綬章を受賞。読売日本交響楽団の名誉指揮者としても来日を重ねている。
録音も、サンクトペテルブルグ・フィル、ロイヤル・フィル等と多数行っている。
多忙なスケジュールにも拘らずサンクトペテルブルグ市の文化と芸術の発展と継承に力を注ぎ、1998年には若手演奏家育成のための賞を設立。サンクトペテルブルグ音楽院の優れた学生に奨学金制度を設けている。1999年より毎年サンクトペテルブルグで「“芸術広場”音楽祭」を開催している。
<サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団プロフィール>
1882年皇帝アレクサンドル3世の勅令により設立された、芸術の国ロシア最古の交響楽団。鉄の壁ソ連邦の時代においても、クレンペラー、ワルター、ワインガルトナー、ニキシュなどの著名指揮者が客演し、ホロヴィッツやプロコフィエフがソリストとして共演。R.シュトラウス、マーラー、ブルックナーなど数々の重要作品のソ連初演を行っている。ベートーヴェンの傑作「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」の世界初演を行ったのも同楽団である(1824年サンクトペテルブルグ)。
古くは1802年に設立された「フィルハーモニー協会」を前身とし、20世紀初頭までは主に貴族階級のための楽団であった。1917年、2月革命の後、国立フィルハーモニー管弦楽団と改称され、クーセヴィツキーが初代指揮者に迎えられた。サンクトペテルブルグからペトログラード、そしてレニングラードからまたサンクトペテルブルグへという都市名の変換に伴い、1991年には長年親しまれた「レニングラード・フィル」から「サンクトペテルブルグ・フィル」に改名され、現在に至っている。
1938年にエフゲニー・ムラヴィンスキーが音楽監督に就任し、約50年間に渡ってその座に留まる。その厳しい統率の下でソリスト集団が繰り広げた一糸乱れぬ演奏は、西欧諸国に大きな衝撃を与え、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの名前は全世界に轟き渡った。
サンクトペテルブルグ・フィルは海外でツアーを行った最初のソ連のオーケストラであり、第2次大戦後は、ヨーロッパ、アジア、アメリカほか全世界へツアーを行い、ストコフスキー、ミュンシュ、クリュイタンス、マルケヴィッチ、クリップス、コダーイ、ブリテンなども指揮台に迎えている。さらには、ルツェルン、ザルツブルク、ラインガウ、エディンバラ、BBCプロムスといった主要音楽祭へも定期的に出演している。
1988年ムラヴィンスキーが死去した後、団員の投票により、ユーリ・テミルカーノフが同楽団の音楽監督に就任。11年に及ぶキーロフ歌劇場芸術監督時代に演出も手がけたテミルカーノフの造詣の深さと芸術性により、サンクトペテルブルグ・フィルは今、第2の黄金時代を迎えている。
同楽団のレパートリーの中でショスタコーヴィチの作品は特別な位置を占め、同作曲家が世界に認められるきっかけとなった交響曲第1番を含む数多くの作品の初演を行い、1975年、作曲家の死とともに「ドミトリー・ショスタコーヴィチ記念」を名称に冠するようになった。
テミルカーノフ指揮による録音はBMGクラシックスより、マリス・ヤンソンスとの共演による録音はEMIより、ウラディーミル・アシュケナージとの録音はデッカより、それぞれリリースされている。
2016/17年シーズンも多忙なツアー活動を行い、シャンゼリゼ劇場、コンセルトヘボウ、カーネギー・ホール、ウィーン楽友協会、ケネディー・センター、サンカルロ劇場、ベルリン・フィルハーモニー、フィルハーモニー・ガスタイク(ミュンヘン)、ロイヤル・フェスティバル・ホール(ロンドン)、ブルックナー・ハウス(リンツ)などの著名ホールや、「バイカルの星」、ラヴェンナ、リュブリャナ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン、グラーフェネッグなどの音楽祭に出演した。