2014/9/19
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ダニール・トリフォノフ エディンバラ音楽祭公演レポート
【ダニール・トリフォノフ ピアノ・リサイタル】
@エディンバラ国際フェスティバル 公演レポート
この夏、ダニール・トリフォノフはエディンバラ国際フェスティバルの名高いリサイタル・シリーズのトリを飾った(8月30日、クイーンズ・ホール)。同祭への出演はすでに三度目であり、今回彼はこのなじみの舞台において、秋からの新シーズンのプログラムの核となるフランツ・リストの難曲「超絶技巧練習曲集」を初めて披露した。リストの作品はこれまでピアノ協奏曲第1番や「ロ短調ソナタ」などは弾いてきたが、「超絶技巧練習曲」に取り組むのはまったく初めてということで、エディンバラの満場の聴衆は、トリフォノフの記念すべき初演に立ち会う幸せに恵まれたのであった。
現代の技巧派ピアニストの中でも、リサイタルで「超絶技巧練習曲」全曲を取り上げる人はけっして多くない。一曲一曲の難易度もさることながら、全12曲を続けて弾くには並々ならぬ集中力と体力が求められるからである。またすべての曲が名曲なわけではないという意見もある。でもトリフォノフは若さゆえ、自分自身の限界にチャレンジしてみたかったのではないだろうか。
実際、一曲目からパワー全開で弾き始めたので、最後まで集中力を維持できるのか心配したが、それはまったくの杞憂であった(むしろ聴く方が彼の集中力についていくのに必死であった)。リストのめくるめくピアニズムの世界に完全に没入し、とうてい初めてとは思えない技巧的な完成度を見せ、弾き終えたその姿には全力を出し切った清々しさがあった。月並みだが、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてのリストが19世紀の聴衆に与えたインパクトの一端を実感できた気がする(なお、リストの時代の楽器はモダン・ピアノにくらべて鍵盤が浅く、タッチも軽かったので、現代のピアニストの方がずっと強靭なテクニックが必要である)。
「超絶技巧練習曲集」のうちもっとも有名かつ単独でも演奏されるのは第4曲「マゼッパ」であろう。トリフォノフはけっして力任せに弾くことはなく、曲のドラマ性を重視し、勇壮な主部では旋律とその他の技巧的なパッセージのバランスを巧みに取りつつも全体の勢いはけっして失わない。抒情的な中間部では詩情がこめられ、再現部でのオクターブはさすがに大迫力であった。ほとんど切れ目なく始まった第5曲「鬼火」は事実上、重音の練習曲だが、彼は難易度を感じさせることなくいとも軽やかに弾き切り、幻想的な世界を作り出していた。他方で、より内向的な第3曲の「風景」や第9曲の「回想」ではしっとりとした歌心も見られ、それぞれの曲の性格を鮮やかに弾き分けていた。
ところでこのコンサートには、英国のピアニストで文筆家でもあるスーザン・トムズ(元フロレスタン・トリオのメンバー)も聴きに来ており、リストの演奏について、「23歳のトリフォノフが信じられないほどのスタミナと同時に正確さと繊細さをもってこれらの曲を征服するのを聴けたことは、きわめて楽しく、また思いがけない喜びであった」と絶賛した。この言葉はその場にいた聴衆の多くの気持ちを代弁していると思う。
さて、リサイタル前半では、昨シーズンのプログラムよりストラヴィンスキーの「イ長のセレナード」とラヴェルの「鏡」より第1~4曲が演奏された。これらは一年間弾き込んできた曲だけあって、筆者が昨年10月にウィグモア・ホールで同じ演目を聴いたときに感じた力みもなく、ストラヴィンスキーは軽快かつダイナミックに、そしてラヴェルはきわめて繊細なタッチで色彩豊かに奏し、10ヶ月間での彼の成長ぶりが印象的だった。ということは、エディンバラが初めてだったリストの「超絶技巧練習曲集」も、日本で演奏する時にはさらに進化しているにちがいない。
後藤菜穂子(音楽ジャーナリスト 在ロンドン)
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飛躍を続ける若き俊英、更なる高みに!
ダニール・トリフォノフ ピアノ・リサイタル
2014年10月21日(火) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール