2015/8/24

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スタニスラフ・トリフォノフのインタビュー[ブルガリア国立歌劇場]

イーゴリ公:イーゴリ公役

オペラ歌手になったきっかけを教えてください。
実は全くの偶然です。
子供のころは、自分の人生をクラシック音楽と結び付けて考えることなど、まったくありませんでした。外で友達とサッカーに興じることが大好きな、どこにでもいるやんちゃな子供でした。音楽など、むしろやりたくはありませんでした。
そんな私でしたが、合唱は好きでした。みんなで歌うことが楽しく、家でも歌っていました。そして父が亡くなった時、兄が私に言ったのです。
いい声をしているから、歌を専門に学んではどうか、と。そこでミンスクの音楽学校に入学し、合唱を本格的に学ぶことに決めたのです。その頃には、ロシアの合唱、特に教会音楽にも興味を持つようになりました。
入学した学校で、私は運命的な出会いをしました。ベラルーシで著名なアダム・ムルジッチ先生です。先生は私をとても熱心に指導し、愛情と情熱を惜しみなく注いでくれました。先生との出会いと指導があり、今の私があるのです。本当に幸福な出会いだったと思います。
熱心な先生の指導のもと、私は次第に劇場音楽やオペラにも惹かれていきました。そして18歳で初めて、歌劇場を訪れ、オペラを見たのです。人生初めてのオペラが18歳ですから、非常に遅いほうですね。まだオペラ歌手を目指していたわけではありませんが、その時に劇場に行ったことは、神様のお導きだと思います。私の才能を見ていてくださったのでしょうか。18歳までの私の音楽教育は、このように、必然的ではなく、偶然の流れの中で、でも正しい方向へと自然に導かれていたわけです。


最初に見たオペラは?覚えていますか?

はい!リムスキー=コルサコフの「皇帝の花嫁」でした。ミンスクの歌劇場で。私は音楽もストーリーもあまり知らずに、いきなり見たのですが、すっかりその魅力…いえ、魔力にとりつかれてしまいました。そして、グリャズノイのパートを歌ってみたい!と強く感じました。
ところで、その夢を果たしたのは、つい最近のことです。半年ほど前にミンスクの歌劇場で「皇帝の花嫁」の初演があり、私がグリャズノイを歌いました!
さて…私が歩んできた音楽の道の続きですが、ミンスクで音楽学校を卒業したのち、18歳でオデッサの音楽院に入学しました。音楽院では、面白い先生や歌手たちがたくさんいて、刺激を受け、とても勉強になりました。そこで私は“声楽の世界の空気”をたくさん吸収することができました。音楽院の4年生の時に、オデッサのオペラ劇場に招かれました。そして声楽家、オペラ歌手としての私のキャリアが本格的にスタートしました。オデッサの劇場で、1997年から2007年まで働き、その後ミンスクに戻りました。ちょうどミンスクのオペラ劇場の再建が終わり、リニューアルオープンした時で、2007年からここに所属し、今に至るわけです。歌劇場の名称は、ベラルーシ・ナショナル・オペラ、通称ベラルーシ・ボリショイ劇場と呼ばれています。モスクワのボリショイ劇場のように。

最初に歌ったオペラの演目はなんでしたか?
音楽院在学中に、チェコ・プラハで開催されたコンクールで2位になったのですが、その時にチェコの国立オペラ劇場から声をかけられ、「エブゲニー・オネーギン」を歌いました。それが私のデビューのようなものです。1997年の9月23日でした。その1週間後、私はオデッサに戻ったのですが、ちょうどその時にオデッサ歌劇場でも「オネーギン」の初演の準備中で、コンクール入賞の知らせを聞いた関係者から、ぜひ、オーディションを受けてみて、と言われました。指揮者や演出家に、聞いてもらいました。そして「オネーギン」を、ここでも歌うことになったのです。

「エブゲニー・オネーギン」は思いで深い作品、ということですね。
はい。ロシアの音楽家にとって、チャイコフスキーの作品は、特別な存在だと思いますよ。「オネーギン」を歌えたことは、大きな喜びでした。

来日中は「イーゴリ公」をご披露いただくわけですね。カルターロフ版の魅力は、なんでしょうか?
「イーゴリ公」はいくつかの版を歌ってきました。それぞれの演出に、演出家の解釈が見られて、いずれも面白い作品になっていると思います。
イーゴリ公の中には、権力や民、妻への思い、人々の態度、考え方などが錯綜し、その様々な見せ方をすることができます。カルターロフ版では、いくつかの曲の順番を入れ替えたりして、演出家のアイデアが盛り込まれていますね。イーゴリ公は、「イーゴリ遠征物語」に登場する、歴史上の英雄です。しかし深く見てみると、公は多くの人々の命を奪い、また実の息子を見捨てて囚われの身にしてしまう。カルターロフは、イーゴリ公の多面的な評価を見せています。黒と白、だけではなく、様々な色彩…彼の持つ側面を巧みに表現しています。イーゴリ公が偶像的ではなく、人間味のある存在として描かれています。演じていて、とても面白いですね。
カルターロフが描くイーゴリ公を通して感じるのは、人は、どの時代に生きていても、基本的には皆同じなのだということです。時代によって、身に着ける服装や周囲の環境は違いますが、人間がもつ本質、性格は変わらないのです。
そんなイーゴリ公は、日本の聴衆の皆様にも受け入れられるのでは、と期待が膨らみます。

オペラ歌手として、幸せを感じるときは?
準備しているとき、ですね。リハーサル、ピアノ伴奏での譜読み、場当たり…。本番は、手に汗、心拍も上がり、緊張…ストレスそのものですよね(笑)オーケストラも一緒だし、パートナーのことや、声のコントロール、そして自分に課せられた課題を常に思いながら、ステージを進めていくのは、実に大変な作業です。本番中の幸福感、というのは少ないですね。ステージ経験を重ねても、それはいつも感じます。ステージはあくまでも、真剣勝負、仕事、です。
でも!終演後に訪れる幸福感は、格別です!自分が精いっぱいステージで出し尽くしたものが評価され、拍手を浴びる瞬間は、なんとも言えぬ達成感に包まれます。
ですので、幸せを感じるのは、リハーサルの時と、終演後。



オフの時には、何をして過ごされますか?

趣味、ですか…? ビリヤードが好きですね。でも、残念ながら、いえ、幸福なことに、私の頭の中は、常に劇場のことでいっぱいです。歌っていなくても、ステージを離れていても、いつも頭のどこかに、劇場のことがあります。もちろん、ビリヤードをしているときも、頭のどこかで次に歌うパートやオペラのことを考えていますね。
オペラ、音楽は常に勉強です。たとえば8時間仕事をして、すぐに頭をオフモードに切り替えることなど、この仕事ではできません。24時間“付きまとう”、そんな職業なのです。音楽家は誰でもそうだと思いますよ。
ステージは危険で気まぐれ。神経をすり減らし、ストレスにさいなまれる。でも離れるとすぐに恋しくなる。麻薬中毒のようなものですね(笑)。

ソフィア歌劇場には何度も客演されていますか?
カルターロフさんがミンスクにいらしたときに、私たちのミンスク歌劇場でちょうど新しい演出の準備中でした。「スペードの女王」です。私はその中でトムスキーを歌っていました。その本番をご覧になったカルターロフさんから誘われて、一年ほど前にソフィアで歌ったのがサン=サーンスの「サムソンとデリラ」でした。ですので、ソフィアと共演するようになったのは、まだ1年ほどです。

日本は初めてですか?
はい。とても楽しみにしています!いろんな方々から日本に素晴らしさを聞いていますので、今からワクワクしています。日本は歴史のある、そしてハイテクの先進国。どんな“顔”で私を迎えてくれるのか、本当に楽しみにしています!

ありがとうございました。

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ブルガリア国立歌劇場 2015年日本公演
プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」10月10日(土) 15:00 東京文化会館
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」10月11日(日) 15:00 東京文化会館
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