2016/4/6
ニュース
ヨンフン・リー 特別インタビュー(マリインスキー・オペラ)
自身のキャリアと「ドン・カルロ」を語る
写真・文:小林伸太郎(在ニューヨーク)
METの楽屋にて、「カヴァレリア・ルスティカーナ」主演を終えて。
ヨンフン・リー、テノール。1973年に韓国で生まれた彼が、メトロポリタン歌劇場にデビューしたのは、2010年の11月29日、ヴェルディ《ドン・カルロ》の題名役で、だった。こういうスピント系の大役をアジア人テノールがMETで歌うのは、1990年代の市原多朗以来、初めての事であったと思う。この時は、1週間前に新制作初日が開いたばかりのオールスター・キャストによる上演だったが、フェルッチョ・フルラネットといった大スターと互角になってドラマに切り込んでいく彼に、ひどく心を動かされたことを憶えている。
アジア人テノールの星!大きな壁をのりこえた掴んだ夢
「正直言って、アジア人には(欧米でオペラを歌うということは)大変な仕事です。欧米人と同じレヴェルだったら、(アジア人は)誰も雇ってくれません。有名な何某という歌手と同じくらいに歌える、では私たちには十分ではありません。真に優れていると、歌劇場の支配人に認めてもらわなくてはいけません。(西欧人を演じるためには)言葉だけでなく、文化も学ばなくてはならない。それでも歌手になりたかったら、一生懸命に勉強するしか、道はありません。」
リーはソウル国立大学卒業後、何年かのブランクを経た後、奨学金を得てニューヨークの大学で勉強した。コンクールにも幾つか優勝したが、オペラの仕事はなかなか得られなかったという。そんな彼がプロとして初めて得た仕事が、2007年にサンチアゴでドン・カルロ役を歌うというものだった。その後、同役は彼が世界の主要歌劇場に進出する際の、切り札の一つとなった。2011年、METの日本公演で急遽代役として歌ったのも、ドン・カルロ役だった。
主役級のキャンセルが相次いだ震災直後の2011年MET日本公演。
急遽代役出演で見事なカルロ役を披露し、公演を成功み導いた。
ヨンフン・リーの当たり役、ドン・カルロ
「ドン・カルロは私にとって、とても思い出深い、大切な役です。最初に歌うアリアは、他の役に与えられているような印象の強いものでは無いかもしれません。しかも私のようなスピント・テノールには、モーツァルトのように歌うのがとても難しく、私の声のいい部分を聴いていただける曲でもありません。またこの役は出番が非常に多く、テノールにとってはなかなか過酷な長い役でもあります。しかし《ドン・カルロ》には素晴らしいストーリーとヴェルディの美しい音楽、それにエリザベッタや父親のフィリッポ、親友ロドリーゴとの難しい関係性を演じる素晴らしさがあります。声楽的にも難しい役で、きっちり歌える人は多くないのですが、私はイタリア語版、フランス語版のあらゆる版を歌ってきました。とても好きな役です。」
MET日本公演「ドン・カルロ」カーテンコール
この秋、マリインスキー劇場とともに日本で歌う《ドン・カルロ》は、イタリア語5幕版によるという。2014年、バーデン=バーデンの音楽祭で歌った時と同様に、ワレリー・ゲルギエフが指揮をする。
「マエストロ・ゲルギエフは経験が豊かで、素晴らしい音楽家です。公演中は歌手をとても注意深く見て、最大限のサポートをしてくれます。バーデン=バーデンではリハーサルが決して多くなかったのですが、お互いに曲をよく知っていましたし、大成功を収めることができました。」
今やスピント・テノールの世界の第一人者となった
昨年秋、METがライブビューイングした《イル・トロヴァトーレ》ではマンリーコを歌うなど、今やスピント系の役では、世界の主要歌劇場が最初に指名する歌手の一人となったヨンフン・リー。プロ・デビューがドン・カルロであったように、彼はキャリアの初めから《カルメン》、《トスカ》、《カヴァレリア・ルスティカーナ》といった、劇的な強い声が要求される役で成功してきた。
「若い頃は、モーツァルトやロッシーニを歌え、そうでないと声を潰すという人は数多くいます。しかし、私の声には、私の声に合った、正しいサイズの服を着せる必要があります。ベルカントの正しい技術で、声に合ったレパートリーを歌えば、それがヴェリズモであったとしても、声を失う事はありません。ただ《トゥーランドット》のカラフだけは、歌えるとわかっていても、キャリアの初め頃は避けました。私はアジア人なので、他の役で認められてから引き受けないと、カラフだけしかオファーされなくなる危険があったからです。」
来シーズンは、《ノルマ》ポリオーネもレパートリーに加える。ヴェルディをとりわけ愛するという彼、近い将来には《アイーダ》、《運命の力》を歌うことが決まっているが、《オテロ》は少なくとも2020年まで待つという。何れにしても、既に2020年までスケジュールはギッシリ詰まっているようだ。
「いつも健康でいなくてはならず、多くの責任が伴いますが、それはどんな仕事でも同じでしょう。一番大変なのは、家族との生活のバランスです。時間が限られている中、夫、父親であることは容易ではなく、私たちの職業では離婚も少なくありません。私は仕事と仕事の間には、たとえどんなに短い時間でも、できるだけ妻と5歳の息子のところに戻るようにしています。」
ニューヨークのお隣、ニュージャージーに家庭を構える彼だが、2年前からは母校であるソウル国立大学で1年に少なくとも1~2ヶ月、教えるようになった。
「教えるには喋らなくてはなりませんし、歌手としては声に負担がかかりかねません。しかし、神から与えられた音楽を様々な形で共有するのは、キリスト教徒として私の使命なのです。歌う事も、単なるキャリアでは無く、私の使命です。5年前の日本では、素晴らしいエネルギーを皆さんからいただく事ができました。また日本で歌える事を、とても楽しみにしています。」
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帝王ゲルギエフ&伝説の劇場が威信をかける2演目
マリインスキー・オペラ 来日公演2016
「ドン・カルロ」
10月10日(月・祝) 14:00/10月12日(水) 18:00
「エフゲニー・オネーギン」
10月15日(土) 12:00/10月16日(日) 14:00