2017/5/13
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フィルハーモニア管弦楽団 ロンドンでの公演評 5月7日(日)ロイヤル・フェスティヴァルホール
フィルハーモニア管弦楽団 ロンドンでの公演評 5月7日(日)ロイヤル・フェスティヴァルホール
エサ=ペッカ・サロネン、ピエール=ロラン・エマールとフィルハーモニア管弦楽団によるインスピレーションズ・シリーズの先の公演における大胆な対比は、意図的なものだったのだろうか? 恐れ、怒り、そして喜びが、容赦なく、あざやかに、低音部のスタッカートで再現され、穏やかな木管と英雄的な金管が、マーラーの交響曲第6番を彩った。一方、バルトークの2台のピアノ、打楽器と管弦楽のため協奏曲では、忍び寄る不安が、かろうじて埃除けの布に守られたかのような趣であった。
サロネンのマーラーは、激しく炎上したのに対し、バルトークはまるで影のよう。肯定的な側面に光を当てると、デュオの緊密で無駄のない動きや、2台のピアノの地下界の和音、エマールの鍵盤での張りつめた緊張感と、共演者、タマラ・ステファノヴィッチの落ち着きのクリエイティブな対比、骸骨が震えるようなエマニュエル・カートのシロフォンの響き、ティンパニのアントワーヌ・シグレの陰気なグリッサンド、タムタム、スネアにシンバルの邪悪なささやき、そして、重たく、精神に負荷のかかるようなフレーズ間の沈黙。
フィルハーモニア管はサロネンのためだけのやり方で、指揮者の動きの秩序と精度を忠実に映し出して演奏する。バルトークの演奏では、それを見てとることは出来たが、聴くことは出来なかった。消耗した恋人たちのように端と端をくっつけ、ふたが取り外された2台のピアノ、打楽器奏者たちの一連の金属や皮や木、虫の羽音のような弦のスピッカートの向こうで、抑圧された木管と金管は、鈍く、精彩を欠き、乾いた音響の犠牲者となってしまった。
マーラーの凶暴性は二重にショッキングで、鮮やかな色彩感で、臆面もなく速く、息もできないほど。この音楽は、口の中に、灰色で、メタリックで、麻薬のような、熟れた、不思議な不安定さを感じさせるものであった。危険な要素を含むすべてのディテールは燃えあがり、ヴァイオリンの鋭い針を刺すようなピッチカートや、ルーテのスクラッチ音、かすんで不安定なカウベル、ミュートされたトランペットの不機嫌な長調から短調へのシフト。 スケルツォは野蛮で、アンダンテは香高く、フィナーレは、スリリングにかたどられていた。
(アンナ・ピカード、英国タイムズ紙)
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名匠が放つ閃光の響き
エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
2017年5月20日(土) 18:00開演 東京芸術劇場 コンサートホール
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op. 20
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op. 64 (ヴァイオリン:諏訪内晶子)
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op. 30
2017年5月21日(日) 14:00開演 横浜みなとみらいホール
<オール・ベートーヴェン・プログラム>
序曲「命名祝日」ハ長調 Op. 115
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op. 37 (ピアノ:チョ・ソンジン)
交響曲第7番 イ長調 Op. 92
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