2017/12/21
ニュース
マレイ・ペライアのインタビュー Part1
2018年3月に日本でリサイタルを行うマレイ・ペライアにインタビューを行いました。来日プログラムや作曲家について、自身の深い解釈を語っています。3回にわたってお届けします。充実した内容ですので是非ご覧ください。
Q:ペライアさん!今日はお忙しい中、電話インタビューに応じていただき、ありがとうございます。そして、来年の3月、日本に来てくださることとなり、とても嬉しく思います。
私もです。
Q:今回もたいへん内容の豊かなプログラムを組んでくださいました。このインタビューでは4人の作曲家 – バッハ、シューベルト、モーツァルト、そしてベートーヴェンについて、それぞれ二つの観点からコメントしていただきたいのですが。まず、楽曲の音楽的な特徴。そこをペライアさんにあらかじめ教えていただくと、私たちは3月のリサイタル鑑賞にそなえ、一歩すすんだ気持ちの準備ができるので。そして、ペライアさん独自の、それぞれの曲との接し方を教えていただきたいのです。他の演奏者のパフォーマンスを聴く時とは違う深みを、私たちは期待しています。
はい、そうですね。できるだけみなさんにわかりやすくお話してみます。まず、曲の輪郭に関してですね。
今回最初に演奏するのはヨハン・ゼバスティアン・バッハの「フランス組曲」BWV817 ホ長調 の第6番です。「フランス組曲」の最後の曲になります。組曲のうちでもこれが最後の作品だと、私は解釈しています。アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳にはこの6番はたしか含まれていなかったかと・・・。いずれにせよ、一連の組曲作曲のあとに、書き足されたもので、とても明朗で楽しげな曲です。ただ、3曲目の「サラバンド」だけが、深く、重く、心に触れるような曲調ですね。全体は光にみちて愛らしさにあふれた連曲で、弾き手である私もいつも楽しみながら演奏します。
Q:つづいて、シューベルトの即興曲集ですが・・・
シューベルトのこの即興曲集Op.142, D.935 に関してシューマンがこのように言及しています:「私は3曲目は好きではない。が、他の曲をみた場合、ソナタとも呼べる構造になっている」と。また多くの人がこれと同じ指摘をしていますね・・・でも私の見解は多少違うんです・・・そもそもソナタではないのです。とくに1曲目は、皆が言うような「ソナタの発展形式」ではないと思います。けれども全体としてはとてもうまく進行します。4つの曲の表情はコントラストを描きだしており、1曲目は、現実から遠く離れた夢想のような、ゆっくりとした曲、2曲目は美しい歌。そしてシューマンが「好きではない。」と言った3曲目は、今日ではもっとも有名なパートで、しかも飛びぬけて美しいヴァリエーションをもっています。4曲目は、やや不思議な曲です、影のような、速いダンスのような曲で、どこかダークでミステリアスです。
シューベルトの次に弾くのは、モーツァルトの「ロンド」イ短調 K.511 ですけれど、これは深い深い曲。この曲については、過去何回も、弾くたびごとに、理解しようと努力を続けています。かなり判ってきたと思うのですが・・・これはモーツァルト晩年の作品です。すべての音符が他の音符との関わりをみせながら展開します。とても悲しい曲だと思うのですが、その表現は直接的ではありません。なにかを失った時の・・・とても愛していたものを失った時の心情ですが、そこにはむしろ、優しさ、いとおしみを感じます。主旋律、展開部を通して感じられるものは、そこだと思っています。
Q:そして最後にベートーヴェンを選んでくださいましたね。
ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111 ですが、このソナタは「別れ (=farewell)」の曲」です。彼は、これが最後の曲になると知っていたと思います。このソナタの後にも、彼は「バガテル」や「ディアベリ変奏曲」などのピアノ曲を書いてはいますが、「代表曲」と呼べるような仕事はそれ以前に終えて出版されていました。ですので、この第32番が最後のピアノ・ソナタ、つまり彼の最後の「意思の表明(=statement)」なのです。
曲の始まりはドラマティックです。暗い音がピークに至る瞬間には、こちらを震え上がらせるような響きを呈します。ところが2楽章ではそれは希望の光に変わります。ベートーヴェンは困難な状況を生き抜いた人です。そして彼はその命をまさに享受している・・・生きることを、神に感謝しているのです。この曲には彼のそんな魂が投影されています。彼の作品にはそういった深さをもつものがいくつかあり、このソナタもそれにあたります。
Q:まさにそこを伺いたかったのです。このピアノ・ソナタ第32番は、結果として最後のソナタになったのか、それともベートーヴェンは意図してこれを最後のピアノ・ソナタとしようとしていたのか。ペライアさんのお考えですと、つまり・・・
意図して最後の作品としたのです。私はそう信じます。ご存知かと思いますが、彼はこのとき、同時に3つのソナタを書いていました。この同時進行までは、おそらく偶然そうなったのだと思います。作品109、110、111ですね。彼が意図的に「これを最後にしよう。」と決めていたと証明する資料はありませんが、私はそう感じるのです。というか、おそらくは、それらの製作にかかる少し前から、もう、そう思っていたのではないか・・・自身の余命についても長くないことを予感したのではないか。そのような自分を鼓舞する様子が、楽譜のうちに感じ取れるのです。
Q:ある意味ではもう「満足」していたと思いますか? ソナタ作曲法に関する自分の仕事は、完遂された、と?
ええ、そう思っていたと思います。
Q:一般の聴衆の立場からしますと、しかし、芸術というたいへん奥の深い道のりのうえで、それがある特定の分野に限ったことであったとしても、「完成」そして「満足」という感覚を得ること自体がとてつもない境地に感じられるのですが・・・
ベートーヴェンの音楽そのものが、なにか、私たちの俗世より、ずっとずっと深い地点で展開しているもののように思うのです。命が提示するさまざまな疑問の、もっとも深いところを掘り下げようとしているような。また、生きている時代、時間にかかわるような。そうです、この曲はとても深く、音符が、布を織るときの糸のようですし、対話ならばそこで交わされる言葉のように、たったひとつもその流れからはみ出すことなく、関係しています。
高橋美佐(取材・通訳)
・・・Part 2へ続く
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静謐さと内なる情熱の音世界
マレイ・ペライア ピアノ・リサイタル
2018年3月23日(金)19:00 サントリーホール