2013/5/21
ニュース
ユーリ・バシュメット 来日直前インタビュー
日本では60歳という年齢は「還暦」と呼ばれて尊ばれていますが、あなたの母国ロシアでは、60歳のお祝いはどのようにお祝いされるのでしょうか?
バシュメット(以下 B:)ロシアでは、どちらかというと50歳が一つの節目と考えられています。人生100年と考え、ちょうど半分過ぎた、という折り返し点ですね。
もちろん60歳も、一つの区切りの時期ですから、人それぞれに祝います。私もモスクワで大きな演奏会を開き、親しい友人たちを招き、共演し、とても楽しい一時を過ごしました。
でもそれは一つの通過点に過ぎません。階段の一つと同じ。まだまだ先に道は続きますし、やりたいこと、実現したい計画、演奏したい音楽は、無尽蔵に私の前に広がっています。成し遂げていない夢を、これからも、いつまでも、追い続けていきたいですね。そして一つの夢が実現したら、さらなる夢を追うべく、また新たな一歩から始める…。おもしろいことが、この先にたくさんあると思うと、わくわくします。
かつて、あなたは誇り高い(当時の)ソヴィエト楽壇において、リヒテルを始めとする20世紀の巨匠たち、つまり、あなたの1つ世代前を生きる大家達の中にいて、「その空気感の中にただ1人加わっていた若い大家」という印象がありました。
その大家たちの年齢に、今、ご自身がさしかかろうとされておられる(あなたの先輩達の年齢にいよいよあなたも達してきた)ということになりますが、この年齢に到達されて今思うことは?受け継いだものは、何でしょうか?
B:ソ連からロシアになり、20世紀から21世紀にかけて、国の体制も街の雰囲気も大きく変わりました。でも私の音楽の解釈は、たとえばシューベルトを演奏する時、あるいは指揮する時に、国の体制や国のトップに誰がいるか、なんてことは、まったく関係がありません。ブレジネフ時代、ゴルバチョフ時代、プーチンになっても、私の音楽には関係ないのです。
大家、と皆さんが呼ばれる偉大な先人たちとの共演を重ね、彼らと音楽という共通言語を分かち合うことで、今の私が培われてきました。共演者は、決して一方通行ではなく、相互にエネルギーやインスピレーションを交し合い、吸収し、大きく、豊かになっていきます。わたしが今までに優れた先輩たちとの共演を通じて得てきたことを、今、自分より若いアーティストも感じてくれているのではないでしょうか。感音楽的アイデアの交換や、相互理解、共有、ステージでは、常にそのような不思議で魅力的なプロセスが生じるのです。
昔、リヒテルと初めて、ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタの練習をした時のことを、今でも覚えています。彼は偉大なピアニスト。私はまだまだ若い“駆け出しの”ソリスト。練習を始めて間もなく、リヒテルがピアノを弾く手を止めて言いました。
「ユーラ(訳注:リヒテルがユーリ・バシュメットに話しかける際の愛称)、あなたはこの曲をすでに弾かれたでしょう?私は初めてです。何か注文や希望があれば、アドバイスをしてください」
私は恐縮していると、リヒテルはさらに言いました。「立って演奏している方が、ソリストなのですからね」
リヒテルは、歳の差も経験の差もなく、同じ室内楽を演奏する対等な仲間、として私を見てくれました。ステージでは、対等なのです。どちらかに傾いてしまうと、それは良い音楽ではなくなってしまいますから。
今は、若手の素晴らしい演奏家たち、たとえばヴァイオリンのアリョーナ・バーエワや、チェロのアレクサンドル・ブズロフとの共演が楽しいです。若手との共演では、必ずいつも、それまでに感じなかった新しい何かが、ステージ上で生まれます。
一般の人々から見ると、あなたは「音楽に出会うべくして出会い、そして音楽家になるべくしてなり、出会うべき人に出会っている」ような、つまり「あらかじめ芸術家となる運命がさだめられていた人」であるかのようにもお見受けするのですが、ご自身の人生と芸術との出会い、そして今までについてお持ちのお気持ちをお聞かせください。
B:これまで様々なことに興味を持ってきました。若い自分は、ギターや、ロック音楽…。振り返ってみると、私の人生は常に音楽と共にありました。ジャンルを問わず、ということです。音楽に、「悪しきジャンル」はありません。クラシック音楽とは、音楽の一つのジャンルに過ぎず、ほかにも、ロック、フォーク、ポップス、ジャズ、とさまざまな領域があり、そしてそれぞれに大きな魅力があります。音楽はジャンルを超えて、私たちの心をつかむのです。
私もこれまでに、いわゆるクロスオーバー・プロジェクトを数度、試みました。ジャズとの共演、ポップスとの共演…。4年程前にはロックグループとの共演も試しました。とにかく、あらゆる音楽を試してみたい。中国琵琶、アルメニアの古い笛、ドゥドゥクなど、民族楽器との共演もあります。ドゥドゥクに関しては、それとヴィオラのための作品まで“注文”して、新たなレパートリーに取り組んだこともあります。
音楽の言葉は、限りがありません。モスクワ・ソロイスツのレパートリーが幅広い所以は、私の、そのような音楽に対する姿勢が反映されているからです。
長い演奏人生の中でも特に強く印象に残っている演奏会や思い出がありましたら、教えてください。
B:フランスのトゥールでピアノのミハイル・ムンチャンとともに、ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタを演奏したとき。演奏会後、たっぷり数分間、客席は沈黙に包まれました。私が舞台から楽屋に戻る頃になって、割れんばかりの拍手が客席から鳴り響いたのです。さらにその演奏会で忘れられないことは、演奏が終わってステージを去るとき、ステージの上の方に、はっきりとショスタコーヴィチの顔を見たのです。ステージの上の方から、だまって、私たちをじっと見下ろしていました。はっと思いましたが、全力で演奏しきった脱力感と達成感の方が、驚きを上回っていましたね。驚いたことに、後からその話をすると、共演者のムンチャンも「私にも見えた」というのです。
日本での演奏会で忘れられないのは、リヒテルと共演した八ヶ岳での演奏会。大自然の中での巨匠との演奏会は、今でも私にとって最も大切な思い出の一つになっています。それから、1995年、阪神大震災後のツアーで訪れた大阪、いずみホールでの連続演奏会も、記憶にはっきり残っています。
大きな震災を経験した人たちにとっては、とても辛い時期に、私たちの演奏会に足を運んでくれた。勇気をありがとう、元気をもらった、という人々の声、笑顔に、私は大好きな日本の皆さんとの大きな絆を感じることができました。
少しでも、支えになれたことは、私にとっては大きな誇りです。
2年前の東日本大震災の時も、その年の5月に来日されましたね。
B:あの時、みなさんは「この時期日本に来てくれてありがとう!」と、何度も私に言いましたが、私は何の疑いもなく、来日しました。日本の皆さんとの数十年に及ぶ友情と信頼関係。もし本当に日本が危ない時だったら、「今は来ないほうが良い」と来日を止めてくれたはず。そのような“忠告”がなかった以上、日本に行っても何の危険も心配もない、と。私にはちょっとの疑いもありませんでした!
若い世代の音楽家達にどのような事柄を伝えたいとお考えですか?
B:音楽で大切なことは、真摯であること。今演奏している作品を、心から愛すること。よく、インタビューなどで、「好きな作品は?」と質問されますが、私はそんな時には、「その時に演奏している作品が一番好きです」と答えます。好きでない演奏は、音楽を殺してしまう。死んだ音楽になってしまう。
作曲家が音符に込めたメッセージを読み取り、解釈し、聞き手と分かち合う。今演奏する作品の本質に近づいて、それを表現することが、音楽の醍醐味です。楽譜に書かれた音符を、いかにつむいでいくか。どんな色をつけるか。ただ、音の羅列、表面的な音の連続ではなく、まさに、布を織り上げるように、音と音をつむぎ上げること。その楽しみは、何回同じ曲を演奏しても、毎回違ってきます。なんて奥深い世界でしょう!
若い世代といえば、今回、樫本大進と共演されますね。
B:楽しみですね。大進さんとの共演では、常に何か新たな発見が伴います。非常に自由に、即興的な解釈をしても、彼は柔軟に対応し、いっしょについてきてくれます。その点で、彼とはとても「のびのびと」演奏できる楽しみがあります。私たちの音楽を、柔軟に受け取り、ついてきてくれる。常に新鮮で、おもしろい。そのような「空気」を、聴衆の皆さんも感じてくれていると思います。
今回の演奏曲、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」はあなたのアンサンブルはじめ、世界中で演奏されていますが、改めて、この作品の魅力をお聞かせいただけますか。
B:この作品では、人間にとって最も大切なことが語られています。それは、「愛」です。自分を取り巻く周りのものに対する「感嘆」です。
3楽章冒頭に登場するコラールを演奏する時には、いつも、「永久」を感じます。言うまでもなく、とてもポピュラーな作品ですが、演奏する側にとっては、だからこそむずかしい。毎回同じ演奏ではつまらないし、それは奏者にとっても、聞き手にとっても同じこと。実は、マンネリを避ける、とっておきの秘訣が、私たちモスクワ・ソロイスツには、あるのですが・・・それは秘密です。
今回も、どうぞお楽しみに。今までとは、また一味違った演奏をお聞かせしましょう!
今後どのようなご活動のヴィジョンをお持ちですか?
B:今は教育プログラムに大きな力を注いでいます。子供や若者を対象にした、様々なプログラム。たとえば、子供を対象にした音楽アカデミーをサマラ市で、若者を対象にした音楽アカデミーを、故郷の街、ウクライナのリヴォフ市で、毎年、年に二回、開催しています。それぞれ10日間ほどの集中講座で、一流の講師陣を招いて、指導してもらいます。それから、子供のシンフォニーオーケストラというのを、ロシア国内で結成しました。年齢は12歳から18歳ぐらいまで。これまでにモスクワやソチ、エカテリンブルグなどの都市で演奏会を行いました。メンバーたちは、広大な旧ソ連各都市から選出。地方には、素晴らしい才能が埋もれています。それに、素晴らしい先生たちも、まだ地方にはたくさん残されています。ソ連時代の素晴らしい教育システムは、まだ地方各地に残っているのです。それを「復活」させるのではなく、新たに「発掘」して、新しい教育システムの基盤を構築していくべく、今は力を注いでいます。
とてもおもしろいですよ。いずれ日本でも演奏できたらすばらしいですね。
60歳ということで、「老後」のイメージはお持ちでしょうか(笑)
B:まだまだ!(笑)
もちろん体力の衰えや疲れやすさはありますよ、正直言いますと。でも私の人生はステージにあります。ステージに立っていると、年齢も時間も忘れます。まだまだやりたい音楽はたくさんあります。ですからこれからも、力がある限りステージに立ち続けていきたい、と思っています。
ありがとうございました!
巨匠が60年の節目の年に贈る特別プログラム
ユーリ・バシュメット & モスクワ・ソロイスツ合奏団
2013年6月5日(水) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール
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