2019/12/20
ニュース
上原彩子 連載『私が知る、ピアニスト上原彩子』第1回
2022年のデビュー20周年に迎けてピアニストの上原彩子が来年からリサイタルシリーズをスタートさせる。「音楽の友 2019年12月号」(音楽之友社)にて新連載が始まりました。「ピアニスト 上原彩子」のこれまでとこれからについて、本人の言葉だけでなく、上原彩子を良く知る人物へのインタヴューも交えつつ語っていきます。第1回の今回は、上原彩子がアジア人として、女性として初優勝したチャイコフスキー国際コンクールを振り返ります。
今年6月、モスクワで行われたチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で日本の藤田真央が第2位に輝いた。連日ストリーミングでライブ演奏を追いかけていると、藤田の演奏が耳の肥えた聴衆にどんどん受け入れられ、会場が熱気に包まれていく様子がよく伝わってきた。日本からコンクールを聴きに行った人たちがSNSで発信していたこともあり、最終日の結果発表まで、パソコンの前に座っていながら一体感を感じることができた。
そこで思い出したのが上原彩子のことである。2002年の同コンクールで、アジア人として、そして女性として初めて第1位を獲得。大変な話題となったが、大柄な男性コンテスタントに並ぶとひときわ小柄に見えたに違いない上原は、今のようにストリーミングが行われていたら、日本人のピアノ好きに限らず、もっと幅広いファンを興奮させただろう。
コンクールに調律師として参加していた株式会社ヤマハミュージックジャパンの鈴木俊郎氏は、その時の上原の演奏を、「それはもう圧巻でした」と話す。
チャイコフスキー国際コンクールは数あるコンクールの中でも最重量級のものであろう。一次予選、二次予選と多彩な曲を弾き分け、本選に進んでも、汗を拭いて水分を補給するわずかな休みをはさむだけで協奏曲を2曲演奏しなければならない。ピアニストの体力・気力が問われる。
「小柄な彼女がステージにちょこちょこ歩いて登場すると、会場がざわざわしました。でも演奏はガツーンと来る。協奏曲はさらにすごい。一次予選から上原さんには注目が集まっていた上、本選ではトリだったんです。舞台設定自体がすべてよい方向に行ったコンクールだったと思います」
ロシア音楽の理解力を問われるコンクール
実は上原は、1998年のコンクールにも参加している。その時は本選には進めなかった。上原自身は、「その年は二次予選までにかなり失敗してしまったんです。他のコンクールとは比べ物にならないくらい雰囲気がピリピリしていて、それに呑まれてしまって。演奏が始まっても携帯は鳴るし、ドタドタ歩く音はするしで、全体的に気分が乗らないというか、どんどんマイナスに行ってしまう感じがありました。4年後はだいたい雰囲気がわかっていたので、落ち着いて演奏に集中できました」と振り返る。
それまで上原は数々のコンクールを経験し、たくさんの入賞歴があるが、シニアのコンクールに参加したのは初めてだった。一次予選から自分の力を出すことの難しさも痛感した。その経験のおかげで2002年はまわりに振り回されることはなかったが、二次予選のシューマンのソナタは全然弾ききれなかったという。
「でも、コンチェルトは迷いなく弾けました。結局は本選でいちばんよい状態に持っていくことが大事なんです。あのオーケストラ(その時はロシアン・シンフォニーオーケストラで指揮はマルク・ゴレンシテイン)とソロを弾くのは大変です。自分に強いものがないと響かない。
チャイコフスキー国際コンクールでは、ロシア音楽がちゃんと理解できて弾けているかどうかが問われます。お客さんも聴く耳があってかなり厳しい。そのあたりも大変ですね。音量が必要だし、全体的なパワー、スケールの大きさも大事です」
ロシア音楽の理解についてはロシア人のヴェラ・ゴルノスタエヴァ氏に師事していたことが大きかったが、そのとき上原が自信を持って弾ける協奏曲は、チャイコフスキーの「第1番」とラフマニノフの《パガニーニの主題による狂詩曲》だけ。その2曲で勝負するしかなかったのである。
ハプニングにも惑わされず全力を出し切った
ちょうどコンクール期間に日韓共催のサッカーワールドカップが開催されており、日本とロシアが対戦して日本が勝利した。それに腹を立てたロシアのサポーターたちはモスクワ市内でも大暴れ。上原と同じくこのコンクールに参加していたヴァイオリンの川久保賜紀(vn、第1位なしの2位)は、歩いてホテルに戻ることが禁じられたほどである。コンテスタントの中国人男性は日本人と間違えて殴られる災難にあった。
大事なコンクールの最中にそんなことがあって大変だったのではないかと思ったが、上原はずっとホテルにこもっていて気にならなかったという。98年には応援に駆けつけてくれた両親のモスクワ行きも「気が散るから」という理由で断り、ひたすら音楽に集中した2週間だった。
「上原さんの演奏は大柄な男性にも負けていなくて、全然ミスもない。本選では出てきただけで拍手喝采。終わった後は全力を出し切ったからか舞台袖で脱力していたようですが、全然拍手が鳴りやまないものだから2~3分経ってようやく出てきました。コンクールは『絶対行ける!』と思う人も落ちてしまうことがある世界なので心配していましたけれど、この光景を見て彼女が落ちることはないと確信できました」(鈴木氏)
コンクールの後は国内外の演奏会の機会が増え、EMIと契約して何枚かのアルバムも出した。だが上原は演奏会の回数をいたずらに増やすことはしなかった。まだ若く経験の少ない自分の課題はわかっており、勉強の機会を多く持ちたかったのである。まわりもそれをバックアップしながら、長い目で見て育てようとした時期だった。
取材・文:千葉 望
「音楽の友 2019年12月号」(音楽之友社)より
第2回は「音楽の友 2020年1月号」に掲載中
上原彩子 連載『私が知る、ピアニスト上原彩子』 第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回(最終回) |
◆上原 彩子のプロフィールは下記をご参照ください。
⇒ https://www.japanarts.co.jp/artist/AyakoUEHARA
◆上原彩子 コンサートスケジュールはこちらから
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2022年デビュー20周年に向けて Vol. 1
上原彩子 ピアノ・リサイタル
2020年3月25日(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
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2020年5月9日(土)14:00 サントリーホール
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