2020/1/22
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上原彩子 連載『私が知る、ピアニスト上原彩子』第2回
2022年のデビュー20周年を迎える上原彩子を紐解く。「音楽の友」(音楽之友社)にて掲載中の短期連載『私が知る、ピアニスト上原彩子』第2回目は、前回の2002年のチャイコフスキー国際コンクールの話題に続き、今回は上原が幼少期にどのような指導を受けてきたのかを中心に振り返ります。モスクワ音楽院の教授として多くのピアニストを指導してきた故・ヴェラ・ゴルノスタエヴァとの出会いにより、上原は幼い頃からロシア・ピアニズムを吸収してきました。
ピアノを始めた頃の思い出
上原彩子は3歳の時に、当時住んでいた岐阜県でヤマハ音楽振興会が運営していた「3歳児ランド」という子ども向けの音楽教室に入った。短大のピアノ科を出て結婚するまでピアノを教えていた母が、娘を音楽に親しませたいと連れて行ったのである。ひとりっ子の上原にとっては同年代の子どもたちと歌ったり踊ったりすることが楽しく、ピアノの練習もその一つだったという。
だがピアノ演奏には小さな頃から才能の片鱗を見せていた。作曲も好きで、6歳のときにはもうなかなか複雑な曲を作り、ヤマハのコンサートで披露している。小学校4年生のとき、ヤマハ音楽振興会のマスタークラスのオーディションに合格し、東京へレッスンに通うようになった。小柄な女の子が一人で新幹線に乗っているので、まわりの乗客が驚くこともあった。東京には全国から才能を認められた子供たちが集まり、作曲やピアノの専門的なレッスンを受けていた。
「私はひとりっ子だったので、それまでは家で母と二人で過ごすことが多かったんです。母はピアノに関してはけっこう厳しくて、ヤマハの先生がおっしゃったことは家でもきちんと弾けるまで練習させられましたね。マスタークラスに通うようになり、外の世界に触れられることがとても楽しかったです」
恩師ゴルノスタエヴァとの出会い
上原はここで江口文子、浦壁信二のほか、ロシア人教師ヴェラ・ゴルノスタエヴァに出会う。ゴルノスタエヴァはモスクワ音楽院で名教師として知られたゲンリヒ・ネイガウスの指導を受け、ピアニストとして活躍したほか、自分でもモスクワ音楽院の教授として多くの名ピアニストを育てた。ヤマハ音楽振興会の招きでたびたび日本を訪れ、上原や三浦友里枝らを幼い頃から指導している。
10歳でゴルノスタエヴァに会った時、まず課題として与えられたのはチャイコフスキー《四季》の<5月>だった。演奏時間5分たらずの小品だが、ゴルノスタエヴァは1回のレッスンに3時間もかけ、繰り返しやり直しをさせたという。日本の5月はそろそろ初夏。緑が濃くなり山野に生命力があふれる季節である。だがロシアでは白夜。淡い太陽の光が広大な大地を照らす。ゴルノスタエヴァは相手がたとえ日本の少女であっても、チャイコフスキーが感じていたロシアの5月をピアノで表現することを要求し続けた。「音を歌う」大切さを語ったのも、ロシアで教育を受けたピアニストらしい。
「先生にはピアノの演奏だけでないさまざまなことを教えていただきました。ご自分の世界を強く持っていて、すごくよく喋るかた。レッスンの最中にロシアの詩を朗読なさることもありましたね。ロシア音楽の背後にあるものをすべて伝えたいという情熱があったのだと思います。先生の影響を受けて、私もドストエフスキーなどのロシア文学を読むのが好きになりました」
すぐれた音楽家になるためには、音楽だけでなく幅広い教養を持たねばならない。実際、トップクラスの音楽家はほとんどが読書家である。豊かな土壌の上に豊かな音楽は花開く。10歳代のほとんどをゴルノスタエヴァの薫陶を受けたおかげで、ロシア音楽は自然に上原の心身に溶け込んでいった。
「海外によい先生がいれば留学しようかと考えていた時期がありましたが、ゴルノスタエヴァ先生がいてくださったので、結局はずっと日本で生活しました」
上原は音楽大学に通ったことのない、珍しいピアニストである。マスタークラスでゴルノスタエヴァに出会い、ジュニア時代からいくつも日本や海外のコンクールに出てよい成績を収めてきた。ヤマハ音楽振興会はそんな彼女を全面的にバックアップし、チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門第1位という成果を挙げた。
ロストロポーヴィチとの共演と演奏を支える身体づくり
そもそもマスタークラスの開設を提唱したのは、指揮者でチェリストのムラティスラフ・ロストロポーヴィチである。上原も彼との共演歴がある。
「最初に協奏曲で共演したのがロストロポーヴィチさんでした。ワシントンナショナル交響楽団と来日されたとき、ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第1番』を弾いたんです。緊張してテンポが速くなってしまい、『3楽章は合わせるのが大変だったよ』と言われました(笑)。最後の来日の時はショスタコーヴィチの『ピアノ協奏曲第1番』を弾きましたが、ロストロポーヴィチさんはショスタコーヴィチと直接交流のあったかたなので、言葉の一つひとつに重みを感じましたね。楽譜に書いてあるテンポの指示と音に出てくるテンポには誤差がありますけれど、そのテンポ感や曲想の作りかたが印象的でした」
楽曲への理解が深まり身体も成長していくにつれて、パワフルな演奏スタイルも定まっていった。
上原と長年付き合いのある調律師の鈴木俊郎氏(連載第1回にも登場)は、こう話す。
「あの小柄な体でロシア・ピアニズムについていけたのは、豊富な練習量に加え、全身をバネのように使っているからでしょう。バネを使えるから音量も迫力もニュアンスもつけられる。大柄な男性の弾きかたとはまったく違います」
最近はさらに身体作りのため、熱心にジムへ通い筋トレに励んでいる。
上原と共演の多い指揮者の飯森範規も、「僕もトレーニングをしているからわかりますが、指揮もピアノもインナーマッスルが大事。上原さんの演奏は丹田に重心がしっかり下りています。ペダルも重心を意識して踏んでますね」という。
身体づくりの必要性を感じたきっかけは出産である。上原は25歳で結婚し、3人の娘を産んだ。周囲には思いがけない、しかし彼女にとっては自然な決断だった。
取材・文:千葉 望
「音楽の友 2020年1月号」(音楽之友社)より
第3回は「音楽の友 2020年2月号」に掲載中
上原彩子 連載『私が知る、ピアニスト上原彩子』 第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回(最終回) |
◆上原 彩子のプロフィールは下記をご参照ください。
⇒ https://www.japanarts.co.jp/artist/AyakoUEHARA
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