2013/7/4
ニュース
マグダレーナ・コジェナ インタビュー [No.2]
No.1に続き、マグダレーナ・コジェナ インタビューNo.2をお届けします。
―ところで、日本の伝統音楽は、欧州とは音階や使用楽器も違いますけれども、古楽のような古い時代を比較しますとむしろ、楽器の構造や音色のシンプルさなどはヨーロッパ古楽に近い点もありますし、日本の観客のみなさんは今回コジェナさんが演奏される演目に自らの感性との共通性を見いだすかも知れませんよ。
ええ、そうであるように願っています。私自身、古楽に接したときそうだったように、今回の演奏は、日本のかたの心にもダイレクトに伝わるだろうと信じています。
―今回の演目(イタリアン・バロック)の楽曲を選択した第一の理由を教えてください。
はい、それは、もともと私が関心を持っていたレパートリーに回帰するためです。イタリア初期バロックは私の中心にあり、学生の頃から歌う練習のための音楽でもありました。バロック歌曲コンサートも16才のとき以来、たくさん経験しています。それなのに、今でもこのレパートリーを歌うときに新たな発見があることに驚きます。ところで、その16才の頃には、私はピアノも勉強しておりました。その当時の私は、将来は歌手ではなくピアニストのほうになりたい、と考えていました。ですので、他の楽器の演奏者を集めてグループを作り、演奏活動を始めたんです。活動は順調で、私の人生で最初に「お金を稼いだ」経験も、これだったんです…そんなこと、期待してなかったんですよ、そんな、まだ16才で、音楽でお金をいただけるなんて。ですから、初期バロック音楽が、実生活の意味でも、私にはじめて「世界」を開いてくれた音楽、と言えるのです。そこで見たのはそれまで知らなかった世界でした。今回のCDの製作は、私のルーツを再認識させてくれました。以後の私は、ロマン主義の音楽、20世紀のスランス歌曲なども精力的に歌ってきて、いわゆる「大曲」にも挑戦してきました…なのですが、ふと、なにかに飢えたように「あ、そうじゃないものを歌いたい!」と感じることがあるんです。対抗するような別のエネルギーが起こることがあり・・・さきほども申し上げましたが、古楽というのは即興的な要素を含有しています。そんな「衝動」にも導かれるのでしょう。ですから、必然の流れとして、バロック音楽のコンサートをやりたい、オペラのレパートリーとは違う表現でコンサートをしよう、舞台上で起こる直感に従って自由に歌えるような…と思うんでしょうね。オペラの舞台や、大編成のオーケストラと一緒に歌う場合、私はおそらく、とても真面目になってるのです。きょう、オペラを歌う私を見て、聴衆の反応はどうだろう、とか、過去、この役を歌った他の歌手と、どうしても比較されてしまうんだろうな、とか(笑)、緊張しますよね。それは、本能や衝動から表現される音、というよりは、人工的に調整された音、という側面があると思うのです。これに対して、小編成グループのときは、仲間たちともっとずっと、音楽を楽しむことができます。私はしばらくそういう仕事から離れていましたので、そろそろ、またやりたかったのです。ミュージシャン同士、一緒に、即興的な演奏も楽しみたい、ああ、また! というか。
―ご自身のなかの、多種ある音楽性の、バランスを取りたかったのですね。
そう、そんな感じです。私がクラシック音楽について、現代の私たちの音楽へのアプローチで、「それは、違うんじゃないか。」と言いたいのは、みんな、シリアスすぎるのです。なんでそんな、心を吸い取られて放心したみたいに「おお!これこそ、まさに聖なる芸術だ!」なんて言う必要があるんでしょう(笑)。会場の空気が、なんというか、重苦しくて、たとえば「世界最高の歌手が歌う」などの宣伝文句にみんなが緊張して聞きに来て…って…そういうことが多くないですか。大切な場だ、ということは分かるのですが、それは「意図して作り上げられた大切さ」で、自然じゃないです。逆に、古楽を得意とするミュージシャンは、広い知識を持っている場合でも、ロマン主義音楽や現代のものを得意とする人たちとタイプが違います。そう考えると、いまお話した二つの音楽は、異なる二つの基準ですね。古楽のほうは、私たちは単なる機械じゃないから、完全じゃない、人生には完璧はない、ということを教えているかのようです。人間そのもの、その瞬間そのもの、そこから生まれる音楽ではないかと思うんです。聴いていますと、体に活力が蘇ってくるようです。
―いまのお話を伺って、ふと聞いてみたくなったのですが、コジェナさんのその「シリアスで意図的な空気はときに非常にやりづらく、もっと自由を」と感じる部分、それは、たいていの歌手の方が感じている共通項なのか、あるいは、コジェナさんはとくにその傾向が強いのか…もしかすると、チェコ人である、ということがなにか、影響していますか?
おそらく、わたし個人が特にその傾向が強いんです。民族性とか、音楽家の共通項とかは、あまり関係ないです。むしろ関係してくるのは、音楽家としてある程度名声を得て、大オーケストラと共演するチャンスなどにも恵まれるようになると、だんだんと周囲からストレスがかかってきます。とりまく空気が妙にシリアスになるんです。私は、少なくとも私は、いつも自然な自分であることを欲します。のびのびと、会場に来てくださる人たちと音楽を楽しみたい。そんな、堅苦しい空気を提供したいわけじゃないんです。ですので、今回のリサイタルは、あらたまり過ぎず…みなさんがふだんいろんなことをなさるでしょう、そんな「ふつうのこと」に近い感覚で聞いていただけると思います。
―役立つ情報をありがとうございます。これで、私たちはまず、「当日、なにを着ていこうか?」と迷わなくてすみますね(笑)。
いいんです、いいんです、何を着ていらしても(笑)。私も、当日はロングのイヴニングドレスは着ませんよ、安心して。
―ところでコジェナさんは、バロックと近現代という単純な話だけではなく、多岐にわたるレパートリーを歌っていらっしゃいますが、伴奏の楽器によってご自分の感覚が変わることはあるのでしょうか? たとえば、古楽器の音を耳で聞いた場合と、現代楽器の音を聞きながらとでは、ご自身のフィーリングが違ってきますか?
そうですね…どんな時代、どんなレパートリーにも、それに最適な楽器がありますが…でも、私自身の感覚はそこにはあまり影響されないです。それよりも、表現そのものの濃さというか、スタイルがマッチするか、とか、そういうことのほうがだいじ…たとえば、バロックのコンサートで、古楽器ではなく現代楽器を使って演奏するバンドと組むこともありますから。たしかに古楽器は、人の声によりフィットすると思いますし、チューニングも合わせやすいです。現代楽器に比べ、古楽器は総じて音も低めで落ち着いています。現代楽器は音がクリアで輝きがあり、高めにチューニングされています、ヴィルトゥオーゾ性を強調するために改良されてきたわけですよね。そういう議論がありますが、私はそれほど重要とは思いません。音楽家自身がまず、情熱をこめた演奏を心がけなかったら、使う楽器がなんであれ、よい演奏にはなりません。
―ありがとうございます。では最後に、日本にいらっしゃるにあたり、なにか、仕事でも仕事以外でも、「これをしよう!」と思っていることがあれば、教えてください。前回のリサイタルから少し時が過ぎました…日本は懐かしいでしょうか?
ええ、やりたいことはいろいろあります。まず、今回は自分の子どもたちを連れて行きますので、彼らのやりたいことに私が合わせなければならなくなるでしょうけど(笑)、8才と5才の息子たちなので、まずはディズニーランドでしょうね。私個人の趣味では、陶器や磁器が大好きなので、なにか、日本独特のものを買って帰りたいです。日本画も好きなのでよい展示があったら美術館にも行きたいです。それと、息子たち、とくに下の息子がお寿司が大好物で、絶対に本場の日本で食べたがりますから、お寿司屋さんにも行かないと(笑)。
―ヨーロッパで生活している5才のお子さんが、お寿司が好物なんですか?
ええ、7ヶ月の時から食べていますよ(笑)、日本文化は世界中でとても愛されていますから、私もいろいろなことに興味があります。今回は、過去の来日でできなかったことを、たくさん経験したいと思っています。日本庭園や建築も堪能したいですね。息子たちにも、できるだけ多くのものを見せたいと思います。
―コジェナさんのご到着を、私たち一同、心からお待ちしていますよ。
私もです、とても楽しみにしています、今日はどうもありがとう。
取材・翻訳:高橋美佐
古楽アンサンブル
マグダレーナ・コジェナ&プリヴァーテ・ムジケ
2013年11月12日(火) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール
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