2020/4/23
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「サンクトペテルブルグ・フィル 公演プログラム 寄稿エッセイ ご紹介」~ユーリ・テミルカーノフ氏に見る’最高の指揮者像” (ひのまどか 音楽作家)
ユーリ・テミルカーノフ氏に見る“最高の指揮者像”
オーケストラが求める理想的な首席指揮者とは、どのような人物か? 私は真っ先にテミルカーノフ氏を挙げる。その理由は、、、
1.80歳にして尚「指揮者は最も困難な仕事です」と吐露する真摯な人柄
直近のインタビューで氏からこの言葉が出た時には、正直驚いた。というのも、指揮棒を持たず、大仰な身振りもせず、手と指と表情だけで大オーケストラをさながら自分の楽器のように操る氏の指揮ぶりからは、困難さなど微塵も感じられなかったからだ。「傍目にはそう見えるでしょうが」、と氏はこの言葉にこめられた深意を語ってくれた。
「最も難しいことは、最高レベルの芸術家である楽団員たちに対して、自分が指揮台に立って彼らを統率する人間だと納得させることです。これは並大抵のことではない。百戦錬磨の演奏家集団を自分の解釈に従わせるためには、毎日スコアを読み解き、音譜の背後に隠された作曲家の真意を汲み取る努力、即ち天才作曲家たちに追いつく努力を怠ってはなりません。たまに自分の意図がオーケストラに伝わらないと感じた時は、虚無感に襲われ、一晩中スコアを繰って啓示となる音譜を探します。指揮者とはこのように、一時の休みもない過酷な職業なのです」
こうした苦行を、勿論氏は聴衆に悟らせない。しかし日々接するオーケストラは、氏の厳しくも真摯な姿勢と、静謐な佇まいの内に燃えたぎる創造のマグマを感知するからこそ、最小限の身振りに最大限の力で応じるのだ。この力を引き出せる人物を、最高の指揮者と呼ぶのだと思う。
2.楽団員から無条件に敬愛される存在であること
氏は恐いことを言われた。「オーケストラは指揮者の良し悪しを瞬時に判断するので、あまり好かれていない指揮者だと、それが全部演奏に出てしまいます」。これは客演指揮者にも言えるが、オーケストラとより強固な関係にある首席は日々真剣勝負だということを意味している。オーケストラに好かれなくなったら首席の座を解かれるし、そういう例は山ほどある。
周知の通りテミルカーノフ氏は1988年、当時レニングラード・フィルの名称だったソビエト最高峰のこのオ-ケストラの首席に、楽団員全員の民主的な選挙で選ばれた。それまでは国のトップが首席を指名していたことを踏まえると、実に画期的な出来事であり、氏が楽団員の篤い信頼を得ていた証でもある。
以来32年間、氏はオーケストラから敬愛され続けているが、それは指揮者としてのずば抜けた指導力以外にも、氏が楽団員一人一人を配下ではなく、最高クラスの芸術家と認め、友人として遇してきたからだ。だからと言って、両者の関係は対等ではない。氏自ら「私は絶対に声を荒らげないが、多分誰よりも厳しい指揮者だ」と認めるように、僅かな緩みも許さない。絶妙な人心掌握術なのだ。
一方でオーケストラに定年制を敷かず、真に優れた奏者は年齢に関係なく大切にする。これまで在籍していた最年長者は90歳まで現役だったと聞いた時には、楽団員に対する氏の熱い愛を感じた。
「オーケストラは指揮者の人となりを反映する」と氏も言われるように、楽団員が自分たちの首席を敬愛し心服する時、最高の演奏を行う。
3.国の歴史と音楽史を体現する人物であること
長老格の指揮者はそれぞれ歴史を背負っているが、テミルカーノフ氏ほど激動の歴史を生き抜いた人は稀だろう。氏は北コーカサスに位置するカバルタ・バルカル共和国で生まれ育ち、13歳でペテルブルグに移りレニングラード(当時)音楽院で学んだ。私は20年ほど前にプロコフィエフの伝記を書いた際、氏の父君がカバルタ・バルカル共和国の文化大臣で、1941年、国が独ソ戦を戦っていた時、首都ナリチクに疎開してきたプロコフィエフを全面的に支援したことを知っていた。その時まだ3歳だったユーリ坊やはプロコフィエフに抱っこされたり、散歩に連れて行ってもらったりしたという。当時プロコフィエフはオペラ《戦争と平和》を作曲中だったが、3ヶ月後ナチス・ドイツが迫ってきたため他の地に移り、テミルカーノフ家との関係は絶たれた。その後パルチザンに身を投じた父君がドイツ軍に殺され、氏は多くの筆舌に尽くし難い苦難を克服した後、39歳の時キーロフ(現マリインスキー)劇場で《戦争と平和》を本格初演することになる。これは氏に体現される国の歴史・音楽史の一端に過ぎず、ソビエト時代からの天才作曲家、演奏家との交流は自叙伝『テミルカーノフ モノローグ』で詳しく語られている。
4.共演者への温かい眼差し
今回の来日プログラムは、帝政ロシア時代の天才チャイコフスキーやムソルグスキーをメインにした“ペテルブルグの響き”を堪能できる趣向になっている。
ソリストも20代の藤田真央、30代のセルゲイ・ドガ―ジンと庄司紗矢香、70代のエリソ・ヴィルサラ―ゼと広い世代にまたがる。これについても氏は「音楽は心で感じるものだから、その才能は年齢に関係ない。アーティストが成功する鍵は一つだけ。己に対する厳しさ。それも一生の」と語った。ご自身にも向けた言葉だと聞いた。
ひのまどか(音楽作家)
ひの・まどか
東京藝術大学ヴァイオリン専攻卒。その後藝大・小泉文夫教授の下で民族音楽を研究。著作業に転向し、クラシック音楽のテレビ・ラジオ・コンサート等の企画・構成、及び著作に携わる。著書に「作曲家の物語シリーズ」(全20巻 リブリオ出版)、「星の国のアリア」(講談社)、「総統のストラディヴァリ」(マガジンハウス)、「戦火のシンフォニー」(新潮社)など。
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