2021/2/25
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私たちの「音楽を仕事にして」~JAスタッフによるクラシック必聴プレイリスト~
私たちの「音楽を仕事にして」*
~JAスタッフによるクラシック必聴プレイリスト~
「もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです」(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 5」亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫)
心のうちで、そっと、いつでも自分に寄り添う曲があります。闇の中にあっても星のように輝く1曲、しぼんだ心を内側から勢いよく膨らませてくれる曲。そして、その曲が特別になった瞬間がありました。
「音楽を仕事にした」私たち、ジャパン・アーツのスタッフも音楽とともに幸福な瞬間を胸に刻んでいます。たくさんの美しい音楽、ぜひ皆様のプレイリストに加えてください。
(*ジャパン・アーツ創業者、中藤泰雄著「音楽を仕事にして -日本の聴衆に、この感動を伝えたい- 」(音楽之友社))
第10回 ブラームス:間奏曲 Op.118-2 (心の奥の静かな湖に 2021/2/25
第9回 オルフ:カルミナ・ブラーナより 「おぉ、運命の女神よ」(運命を乗り越える) 2020/10/17
第8回 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章(奮い立たされる1曲) 2020/9/5
第7回 J.S. バッハ:マタイ受難曲 (音楽に圧倒されるということ) 2020/8/22
第6回 ショスタコーヴィチ: ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲 (不調も吹き飛ばすショスタコーヴィッチの爆発!) 2020/7/24
第5回 スクリャービン:左手のための小品 前奏曲と夜想曲 (舞台袖の小窓から) 2020/7/23
第4回 J.S.バッハ(ペトリ編):羊たちは安らかに草を食み BWV208-9 (心がざわついた時に聴きたくなる〜私の心の安定剤) 2020/7/22
第3回 中村紘子 ショパン:マヅルカ集 (雨の日にしっとりと聴きたい曲) 2020/6/30
第2回 チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」 第3楽章 (音楽を身にまとい舞うロパートキナ) 2020/6/30
第1回 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 第1楽章(晴れた日に外を歩いていて聴きたくなる音楽) 2020/6/29
第10回 ブラームス:間奏曲 Op.118-2
(心の奥の静かな湖に)
小学2年生の時だったと思う。母に美術館に行こうと言われた。それほど遠くないから自転車で。でも、すこしきれいな洋服に着替えて行きましょうと。自転車を買え換えてもらったばかりで遠出するのが嬉しく、私は言われるままに着替えて、母の自転車の後を追った。海沿いの埋立地のまっすぐな道を思ったより長く走って到着したのは千葉県立美術館の東山魁夷展だった。
東山魁夷はすでに日本を代表する日本画家で、白馬のいる風景が人気だった。青い森から出てきた真っ白な馬の絵はおとぎ話のよう、子供の私にもわかりやすく、気に入った。
その美術展の図録は少し大きかった。居間の本棚からはみ出ていたので、別のものを取り出す時によく落ちた。留守番の時に所在無くひとりぱらぱらめくり、いつのまにか角がめくれていた。
思い出とは不思議だ。知っているというだけで引き寄せられる。大人になって長野の東山魁夷美術館へ、東京で東山魁夷生誕100周年展に行った。何度となく静かな絵を見に行った。
美術展の売店で、自分の近くにあったらいいと買った葉書は《残照》だった。戦後、東山魁夷は父、母を亡くし、最後の肉親だった弟を亡くし、初の日展に落選。《残照》は、失意のうちに房総半島の鹿野山に登り、出会った景色だという。諦念の世界とあった。
当時、諦念、諦観という言葉になじみがあった。ブラームスの間奏曲(インテルメッツォ )Op. 118-2を仲道郁代さんが、そう表現していたからだ。郁代さんはこの曲をCDに収録したばかりで、「これは諦観の世界だと思うのです、その中でふっとわいたような光をつかもうと手を伸ばしては、はたと我にかえり、伸ばした手をもとに戻してしまう、そういう曲だと思うのです」と、インタビューや舞台で語っていた。
ブラームスはたくさんのことをあきらめた人だと思うと、チョ・ソンジンがインタビューで答えたと聞いた。あきらめるとはなんだろう。違う何かを追わないということだろうか。何と引き換えに何を心に決め、何を手放すことなのだろうか。
心の奥の静かな湖に映されていくような回顧、逡巡、そして諦念。私には、それでも楽しかったね、忘れないよという声が聴こえてくる。暖かくて明るい陽射しの中でくすくす笑った日のことを、欠けているものは何もなくて優しさに包まれていた時のことを、忘れないよ、誰も知っている人がいなくなっても、ありがとう、さようならと聴こえる。そして最後に、私、もう行くねと聴こえる。(C)
東山魁夷《白馬の森》
http://higashiyama-kaii.or.jp/%e7%99%bd%e9%a6%ac%e3%81%ae%e6%a3%ae.html
東山魁夷《残照》
http://higashiyama-kaii.or.jp/%E6%AE%8B%E7%85%A7.html
仲道郁代「ロマンティック・メロディー」インテルメッツォ イ長調 op.118-2
https://www.sonymusic.co.jp/artist/IkuyoNakamichi/discography/BVCC-34011
https://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=5051&cd=BVCC000034011
第9回 オルフ:カルミナ・ブラーナより 「おぉ、運命の女神よ」
(運命を乗り越える)
初めてこの曲を聞いたのは中学生の時、私は13歳でした。音楽の授業では、毎年学年末に演奏会があったのですが、この曲の簡易版が3年生の演奏曲目に入っていたのです。練習初日のことは忘れられません。思い出しただけで鳥肌が立つくらい、衝撃を受けました。
ドーン、ドーンというドラムと、すばやくささやき声に変わる合唱でゆっくりと曲が始まり、どんどんとクレッシェンドで盛り上がっていき、そして突然に終わる。そこに、この曲の主題を完璧に感じることができます。それはつまり、古代ローマ人とギリシャ人によって信じられていたような、容赦のない運命の力、神々と死すべき運命の人間の両方を支配するもの。超自然的でくつがえすことができない力のイメージ、それをこの音楽が完璧に表現していると思うのです。そして、それに対して感じる圧倒的な無力感と絶望感に、私は当時非常に強い印象を受けました。高校と大学の1年生の間、試験の前には必ずこの曲を聞いたことを覚えています。
私はこの曲に出会ったことで、目の前に具体的に現れた、逃れられない運命という存在について考えるようになりました。 それは、様々な挑戦を自分の可能な限りの力で 乗り越えていくための澄んだ心と勇気を、私に与えてくれたのです。(D)
<画像:カルミナ・ブラーナ(19世紀にドイツの修道院で発見された中世の詩歌集)>
Carl Orff : O fortuna – Carmina Burana
The piece opens at a slow pace with thumping drums and choir that drops quickly into whisper, building slowly in a steady crescendo and ending abruptly; make you perfectly feel what is the main theme of the piece: the strength of an inexorable Fate that, as believed by old Romans and Greeks, rules on both gods and mortals. Was actually that, the image of a supernatural and irrevocable power, perfectly expressed by the music, against you feel powerless and hopeless which have impressed me so such at the time. I remember that I used to listen this piece before every exam during whole high school and the first years of university.
Thinking about the existence of an ineluctable fate which, thanks to the music, was materialized in front on me; was actually give me the necessary mental sharpness and braveness to overcome every challenge at the best of mine possibility. (D)
第8回 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 第2楽章
(奮い立たされる1曲)
初めてこの音源を耳にしたのは大学生のとき。
言わずもがなのこの名曲が、元々とても好きでしたが、この音源を耳にしてからは他の演奏を受けつけなくなってしまったほどの衝撃と言葉にならない感情がこみ上げ、それから何百回となくこのCDを聴くようになりました。緻密に創りあげられ、捌かれるピアノのリズム、ダイナミックさに背中を押されると思えば、寄り添い語りかけてくる音の粒、そこにピッタリと呼応するオーケストラ。
大学卒業の年に、東日本大震災~3.11が起こりました。
卒業式や行事はすべて中止になったのはもちろんのこと、生まれて初めて災害を身近に感じ、先行きの見えない不安を抱えながら、新社会人生活をスタートしなければなりませんでした。
気が付けばまたこの音源を聴いていた私は、ツィメルマンのピアノが、今は見えない希望を朗々と歌い上げ、力強く導いてくれるような気がしたのです。
とにかくがむしゃらにやるんだ、と奮起したことを覚えています。
それは、時が経った今、この混沌とした時代においても、変わらず私の中で鳴り響き、導いてくれています。もちろん、第1楽章、第3楽章ともに圧巻。今でも涙無しでは聴けない、私の原点です。(R)
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第1番&第2番 (小澤征爾指揮 ボストン交響楽団)
ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン
第7回 J.S. バッハ:マタイ受難曲
(音楽に圧倒されるということ)
当社では聖トーマス教会合唱団やドレスデン聖十字架合唱団などすばらしい団体による「マタイ受難曲」を繰り返し招聘してきましたが、忘れもしない入社まもない1996年に私が初めて聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団による「マタイ受難曲」のツアーを担当させていただいたときの衝撃についてお話ししてみたいと思います。
この時、ジャパン・アーツでは初めて「マタイ受難曲」に字幕をつけて上演をすることになりました。当時の社長だった創業者の中藤泰雄さんがこだわったのは「わかりやすい訳詞」ということで樋口隆一先生によるマタイ受難曲の訳を使用させていただくことになりました。 初めて字幕制作に取り組ませていただいたのですが、字幕のしくみとして、楽譜に合わせて次の字幕スライドを掲示するため、キューが書き込まれた楽譜を用意する必要がありました。そこで楽譜と訳詞を見ながら何度もCDを聴き、ドイツ語は十分にはわかりませんでしたが、スコアにキュー出しを書き込んでいく、という細かい作業を行いました。
当時は何もわからずやっていましたが、今から思えば本来は字幕専門の会社の方にお願いしてもよかったことなのかもしれません。(今ではこの作業も字幕のスペシャリストに発注します)3時間以上の大作ですが、結果スタディスコアに何度も目を通すことになり、今ではそのスコアが思い出の品になっています。
そしてようやく来日日がやってきました。初日のリハーサルでは字幕が正しく予定通り流れるか確認する必要があったので、全編通してチェックしました。 当時は電光掲示ではなくスライド掲示でしたので、誤字脱字があった場合には修正に時間もお金もかかることでした。リハーサルでは最後のチェックを入念に行いました。
ところがそのリハーサルで、私はあまりのすばらしい音楽に圧倒されて、完全にノックアウトされてしまったのでした。もう何度もCDで聴いていたはずなのに、生のマタイ受難曲がこんなに迫力あるものとは・・・!腰が抜けるとはこういうことか、とさえ思いました。あまりのすばらしさに制作担当だったにもかかわらず、東京公演(確か4回は公演があったはず)を全て客席で聴かせていただいてしまいました。(今だから明かします・・・)
それから幸運に恵まれ、繰り返し聖トーマス教会合唱団やドレスデン聖十字架合唱団のマタイ受難曲の日本ツアーを担当させていただきましたが、毎回心のひだに入り込んでくる温かい音楽に胸を打たれます。2002年にはヨーロッパ出張があり、ライプツィッヒにも足を延ばしました。
2008年には個人的に夏休みにライプツィッヒを訪れました。聖トーマス教会合唱団の事務局長だったAltnerさんが寄宿舎が休み中にも関わらず会いに来てくださり、寄宿舎内を案内してくださいました。当時カントール(教会の音楽監督)のビラー氏の書斎の入り口付近にはなんと日本ツアー中に撮影された写真が飾ってありました。懐かしくもあり、うれしくもあり、きらきら輝く思い出となっています。
聖トーマス教会合唱団のメンバーに大人になったら何になりたいの?と聴いたことがあります。歌を続けていきたい!と話してくれた青年もいましたが、僕は医学の道に進むよ!と胸を張って語ってくれた青年のことも思い出します。みなさん、今頃大きく羽ばたいていることでしょう!(C)
第6回 ショスタコーヴィチ: ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲
(不調も吹き飛ばすショスタコーヴィッチの爆発!)
マーサ・アルゲリッチのCDを擦り切れるほど聴いて育ち、大好きなクラシック音楽を仕事にできるジャパン・アーツに入社した。それから1年後、ジャパン・アーツが招聘するトランペットのセルゲイ・ナカリャコフが別府の音楽祭でアルゲリッチと共演することになり、なんとも幸運な巡り合わせで私が同行することになった。別府で二人が演奏したのはショスタコーヴィチ:ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲。管弦楽は水戸室内管弦楽団だった。まさに天才のぶつかり合い。ラストは舞台上で花火が上がったかのような、奇跡的なステージだった。
そのときは大変日差しの強い5月で私は軽い熱中症になっていたのだが、「ショスタコーヴィチの爆発」でたちまち不調が吹き飛んで、アドレナリンが湧き出した。舞台袖で呆然としていた私に、帰ってきた憧れのアルゲリッチがにやりと笑い、なんて幸せな仕事だ!と思った。(M)
ショスタコーヴィチ: ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲
マーサ・アルゲリッチ&セルゲイ・ナカリャコフ
ショスタコーヴィチ: ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲
第5回 スクリャービン:左手のための小品 前奏曲と夜想曲
(舞台袖の小窓から)
83歳左手のピアニスト舘野泉さんのマネジャーとして、全国の色々な場所で公演にご一緒した。舘野泉さんはどこへ行っても、その土地の食べ物を大変豪快に召し上がり、焼酎を美味しそうに飲まれる。「食べることは生きること」。激動の時代をたおやかに乗り越えてきた、舘野泉さんの生き様である。
そんな舘野さんの紡ぐ音楽は、左手だけだとかそういったことを超越して、とても豊かで優しい。スクリャービン「前奏曲と夜想曲」も舘野さんの大切なレパートリーで、何度聴いても涙なしには聴けない。私はいつも舞台袖の小窓から、目頭を押さえる客席のお客様を眺めて、うんうんと共感を憶えるのが常である。
今年は舘野さんのデビュー60周年。是非多くの皆さまに演奏を聴いていただきたい。(M)
舘野泉著「絶望している暇はない 左手ピアニストの超前向志向」(小学館)
第4回 J.S.バッハ(ペトリ編):羊たちは安らかに草を食み BWV208-9
(心がざわついた時に聴きたくなる〜私の心の安定剤)
東日本大震災直後は、コンサートがいくつも自粛されました。
私が久しぶりにコンサートホールの舞台袖に立ったのは、2011年4月7日、東京・春・音楽祭での河村尚子さんのコンサートでした。
東京文化会館の小ホールは、まさに音楽を求めていた多くのファンが集い、河村さんの音楽を、並々ならぬ集中力を持って聴き入る様子は舞台袖にもしっかり伝わってきました。
そのアンコールで演奏されたのが、バッハの「羊たちは安らかに草を食み」。
優しく、慈愛に満ちた、穏やかな音楽。
ふと気が付くと、涙がボロボロと流れていました。
でも、悲しくて泣いたわけではなく、音楽を心から聴くことができた証拠だったのだと思っています。
舞台袖でこの曲を聴いた日のことを忘れることができません。
今、このつらく長い日々が終わって、初めてコンサートホールの舞台袖に立つ時、私はどのホールで、どんなふうに音楽を聴くのだろうかと思うと、楽しみでなりません。(T)
東京・春・音楽祭 ー東京のオペラの森2011ー
河村尚子 ピアノ・リサイタル ~リストへの旅ー生誕200年に寄せて
河村尚子のプロフィールはこちらから
https://www.japanarts.co.jp/artist/hisakokawamura/
「羊たちは安らかに草を食み」をアレッシオ・バックスの演奏でお聴きいただけます。
⇒ Spotify
第3回 中村紘子 ショパン:マヅルカ集
(雨の日にしっとりと聴きたい曲)
雨の日に聴きたくなるのは、ポロンポロンというピアノの音色。
心に寄り添ってくれるようなその優しい音色に癒されるのが、ショパンの4つのマズルカ作品群。
しとしと降る雨を部屋の中から眺めながら、のんびり穏やかに過ごす時にぴったりです。
この曲は、中村紘子さんの記憶と繋がっています。2014年にこのマズルカ作品群をレコーディングされた紘子先生。
CD発売直後の公演現場で楽屋に呼ばれ「いつもありがとう」と言いながらCDにサインを入れてプレゼントしてくださいました。
直筆で私の名前の宛名とメッセージが書かれたそのCDとその思い出は、私の宝物です。
ちなみに、CDブックレットに掲載されたご自身のコメントの中で、「マヅルカ」と綴っておられる紘子さん。
「ズ」ではなく「ヅ」のこだわりは、なんだったのだろう。。。(M)
中村紘子 ショパン:マヅルカ集
⇒ Dreamusic 中村紘子 DISCOGRAPHY
第2回 チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」 第3楽章
(音楽を身にまとい舞うロパートキナ)
チャイコフスキーの交響曲の中では、マイナーな曲に分類される第3番。日本でも第4番以降の作品に比べ、演奏機会に接することは少ない。でも、この曲の第3楽章の音楽を聴いたとき、バレエ・ファンであれば、すぐに脳裏に浮かぶバレエシーンがあるはず、、、バランシン振付《ジュエルズ》の<ダイヤモンド>。 私が必ず思い描く舞台、フルートのなんともいえない物憂げでやわらかいソロが奏でられ、両舞台袖から静かに歩み出てくるのは、マリインスキー・バレエのウリヤーナ・ロパートキナとダニーラ・コルスンツェフ。 彼らの<ダイヤモンド>を最初に見たのは、2006年のマリインスキー・バレエ日本公演。私がまだアルバイトでジャパン・アーツに出入りし始めてすぐの頃、東京文化会館の客席であまりの美しさに涙した。その後、現地マリインスキー劇場でも見た。もちろん涙した。コルスンツェフにエスコートされながら踊るロパートキナ以上に、音楽そのものを身にまといながら舞うダンサーは、後にも先にも見たことがない。永久保存したくなる舞台だった。 ロパートキナが引退を発表した2017年6月。その直後に小林研一郎マエストロが読売日本交響楽団と第3番を演奏するとわかり聴きに行った。ロパートキナの舞台が脳内再生され、涙がこぼれた。(M)
愛聴盤
チャイコフスキー交響曲全集
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー&モスクワ放送交響楽団
マリインスキー・バレエ「ジュエルズ」DVD
⇒ バレエショップ フェアリー
第1回 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 第1楽章
(晴れた日に外を歩いていて聴きたくなる音楽)
サンクトペテルブルク留学中、通っていた大学がペテルブルクの真ん中を流れるネヴァ川沿いにありました。
初夏の爽やかな季節、授業が終わり歩いて帰る道すがら、悠々と流れるネヴァ川と対岸の美しい街の景色(イサーク聖堂が金色に輝き、エルミタージュ美術館が晴れた空に映え、その雄姿が水に映し出されています)を眺めながら、大音量でチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲を聴くのが好きでした。雄大な風景と壮大な音楽がマッチし、なんて気持ちの良かったことか、、、!
いまでも、青く晴れ渡った空が広がる気持ちの良い日は、この曲を大音量で聴きながら出勤します。(←イサーク聖堂もエルミタージュ美術館もネヴァ川もありませんが、なんとかこれでテンションを上げようとしています。笑)
ちなみに私の鉄板音源は、ジャパン・アーツのロシア部部長(当社任意愛好クラブ)にお薦めいただいた、オイストラフ(ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団)です。(M)
愛聴盤
チャイコフスキー交響曲全集(ヴァイオリン協奏曲も含)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー&モスクワ放送響
敬愛する担当アーティストが、尊敬する偉大なヴァイオリニストとして挙げたのは、オイストラフ、メニューイン、ハイフェッツ。ハイフェッツのチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲は下記でお聴きいただけます。
⇒ Sony Music Shop