2020/9/11
[リナルド] 作曲家ヘンデル 生誕335年
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル (1685-1759) は、バロック時代後期を代表する作曲家。あらゆるジャンルに作品を残したが、とりわけオペラ、オラトリオの分野で、甘く官能的かつ劇的華麗な音楽を駆使して人間味溢れる音楽ドラマを描いた。劇場プロデューサーや外交官としても活躍した、18世紀前半を代表する有名人、マルチタレントでもある。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル Georg Friedrich Händel (1685-1759)
生まれはドイツのハレ。ちなみにあのヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750) は同じ歳で、生まれ故郷もそう遠くないが、二人の人生は対照的だ。バッハが教会音楽を生業とする音楽職人の出で、生涯その仕事を守ったのに対し、宮廷外科医の息子だったヘンデルは自由人で、国境を超えて活動した。バッハは20人の子供を遺した家庭人だったが、ヘンデルは結婚すらしなかった。 最初の音楽修業はハンブルクの歌劇場。19歳でイタリアに渡り、各地を回る。1709年、オペラ《アグリッピーナ》がヴェネツィアで大成功。ハノーヴァーの宮廷楽長に招かれるが、おそらく次期イギリス国王に内定していたハノーヴァーの選帝侯からの依頼で、現地の様子を探る意図もあってロンドンに渡った。1711年、ロンドンにおける最初のオペラ《リナルド》が大成功を収める。オラトリオ《メサイア》、オーケストラ曲《水上の音楽》など名曲をあまた発表して音楽家としての名声を確立。王室関係者や貴族とも親しく交わった。 1727年にイギリスに帰化し、「ジョージ・フレデリック・ハンデル」となる(そのためいまだにドイツ人もイギリス人も、ヘンデル=ハンデルは自分の国の偉人だと主張する)。晩年は失明や脳疾患に苦しみ、74歳で没。イギリスの名士の霊廟であるウェストミンスター寺院に葬られた。死後も名声は衰えず、ベートーヴェンから崇拝され、19世紀の合唱運動でも大きな役割を果たした。オペラはこの半世紀余りで再発見が進んでいる。 加藤浩子 (音楽評論家)