2013/11/28
ニュース
“運命は自ら切り開く”~ 大ソプラノ パトリシア・ラセット
パトリシア・ラセットがタイトル・ロールを歌うというので、久しぶりにメトロポリタン・オペラで《トスカ》を見た。2009年秋の初演の際、この作品は大ブーイングが浴びせられたが、ラセット、カウフマン、ターフェルで翌年春に上演された際には、大ブラボーになったという、リュック・ボンディ演出の曰く付きのプロダクションである(11月9日所見)。
以前メットで上演されていたゼフィレッリの絢爛豪華な装置と違い、ボンディの演出は、装飾的な部分を全部削ぎ落したかのように、シンプルなもの。その上、トスカがスカルピアを殺した後、スカルピアの周りに燭台を置き、胸には十字架を置くという有名なト書きに従わないなど、オペラ・ファンが期待する伝統的な演出は、敢えて排したふしがある。そんなこともあって、今のメットの演出は、歌手にとってはごまかしがきかないというのだろうか、ある意味とても大変な演出なのだと思う。
最もラセットは、いつも真っ向から役に立ち向かうタイプのアーティストだから、そういう芝居がかった要素は、役作りの上であまり影響を受けないのかもしれない。ラセットは劇場の規模に関係なく、「大きな芝居」というものは信用しないのだと思う。もちろん、《トスカ》のような刺激の強いドラマチックな音楽は、自然と大きなジェスチャーを要求することもあるだろうが、基本的に彼女の芝居には、説明的なところはほとんどない。見て聴くだけで、ヒロインの心で何が起きているか「わかって」しまう。だから、劇場の最前列に座ろうが、最上階に座ろうが、またはライブビューイングを見ようが、彼女の演唱は大差なく、観客のハートに真っ直ぐ届く。
ラセットは現在、バロックからヴェルディ、プッチーニ、ヤナーチェク、そして現代ものまで、幅広いレパートリーで求められている。その理由の一つは、リッチで柔軟性のある彼女の声と音楽性にあることはもちろんだろう。そして何よりも、音楽とエモーションの見事なまでの一致が、彼女の演唱にはごく自然になされていることが、大きな理由なのだと思う。ここ最近プッチーニのヒロインを歌う機会がとりわけ多いのは、プッチーニの音楽が求める声と演劇性が、成熟した今のラセットの中で、幸運な一致を見ているからなのだろう。
今シーズン彼女は、サンフランシスコでボーイト《メフィストーフィレ》に出演しながら、同時期に世界初演されたトバイアス・ピッカーの《ドロレス・クレイボーン》表題役に、代役として出演するという、ウルトラCをやってのけた。作曲家や劇場の彼女に対する信頼が厚いからこそ、こういうことが起きたのだと思う。しかしながら、2作品を主演として同時にこなす、そのうち1作はゼロから作り上げなくてはならない世界初演というのは、並大抵のことではない。彼女のガッツと勇気も、大変なものだと思う。思えば、メットの《トラヴィアータ》の一つ前の演出の初演を彼女がやったときも、アンジェラ・ゲオルギューとルネ・フレミングが相次いでキャンセルした後の代役という、並のソプラノだったら怖気づきそうな状況であった。
そんな彼女の演ずるトスカであるから、燃えるような感情の激しさがあろうことは、想像がついた。しかし今回のメットでは、その激しさと表裏一体であるトスカの脆弱さ、デリケートなところが、より強く印象に残った。以前、彼女は、演出家や共演者と熱く討議しながらリハーサルを重ねるという話を聞いたことがある。今回の彼女のトスカは、いったい何に触発されて、あのような形になったのだろうかと、ふと考えてしまった。
世の中には、演出家や共演者がだれであっても、いつも同じような表現をすることでスターとなった歌手も少なくない。しかしラセットは、いわばその対極にあるアーティストだ。演出と共演者に大きくインスパイアされることを、何よりも求めるタイプである。トリノの共演者と舞台は、メットとはどのように違う化学反応を彼女の中で起こすのだろうか?日本ではこの冬、それを(映画館と生の舞台という違いはあっても)短期間のうちに見届けることができるわけだ。ちょっと羨ましい。
小林伸太郎(在ニューヨーク)
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≪トリノ王立歌劇場 2013年日本公演≫
<「仮面舞踏会」より>
⇒ 公演詳細:https://www.japanarts.co.jp/torino_2013/index.html
[公演日程] 会場:東京文化会館
《仮面舞踏会》
□12月1日(日) 15:00
□12月4日(水) 18:30
□12月7日(土) 15:00
《トスカ》
□11月29日(金) 18:30
□12月2日(月) 15:00
□12月5日(木) 18:30
□12月8日(日) 15:00
《特別コンサート“レクイエム”》
□11月30日(土) 14:00 サントリーホール