2024/10/11
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指揮者サカリ・オラモ インタビュー【後編】
インタビュー・執筆:高坂はる香(音楽ライター)
2025年2月、ドイツの歴史ある楽団 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団を率いて日本ツアーを行う指揮者のサカリ・オラモに、インタビューを行いました。
前編・後編に分けてお届けいたします。
—プログラムの一つでは、マーラーの交響曲第5番を取り上げます。作品に何を感じますか?
マーラーの10曲の交響曲は、彼の自伝的な連作だと私は思っています。
第5番を書いた頃の彼は、アルマと結婚し、内面的な平和や喜びを感じていました。ずっと探していた自分自身を見つけますが、それはほんの束の間です。1860年代には、再び自分で自分の精神を破壊してしまいましたから。
アルマは、世間から悪く言われることもありましたが、特別な魅力と才能を持つ女性でした。一方のマーラーは、ユダヤ系の出自のため地位を築くことに苦労してカトリックに改宗、神経質かつ心配性で、世の中の情勢を気にする男性でした。彼にとって、アルマは精神的な均衡を保つために必要な存在だったのでしょう。
彼女とついに結婚できた幸せの絶頂の音楽である第5番は、葬送行進曲で始まります。これは彼に典型的な矛盾です。移り気で、悲しみと幸せの間を行き来する不安定さがあり、完全に幸せにはならない。音楽の中に一種の大きなエネルギーがありますが、自分でそれを使い果たしてしまうのです。
第2楽章では大噴火が起き、終わりに向かう中で一縷の救いも感じられます。スケルツォ楽章ではフレンチホルンが多用されますが、私の個人的な解釈では、これは突然自信をつけたマーラーを表していると思います。ウィーンを歩き回り、口笛を吹き、歌い、友人とビールを飲むマーラー。しかしそのパーティーには常に影が感じられます。
続く有名な「アダージェット」は、アルマへの愛の歌です。テンポについてはさまざまな考え方がありますが、私はおそらく多くの指揮者より少し速く演奏すると思います。マーラー自身が指揮した「アダージェット」は7分程度だったといわれますが、別の指揮者の録音には、最長で14分半というものもあります。
すべての指揮者に自分の解釈で音楽をする権利があり、マーラー自身も「好きなようにやれ、ただ私の音楽を尊重すればよい」と言っています。この楽章を必要以上にゆっくり演奏すれば、音楽に敬意を払っている気になれるかもしれませんが、私はそれには同意しません。表現された人生を“歌う”のに、あまりに遅いテンポでは途中で息が切れてしまいますから。
終楽章は、彼の全交響曲の中で最も幸せな楽章です。愛する女性と結婚できた喜び。勝利との興奮の中で迎えるフィナーレ!
……しかし彼は、ほどなく第6番の交響曲を書き、自らその幸せの全てを破壊してしまうのです。
—マーラーの特異な精神構造を改めて感じますが、オラモさんは彼のようなメンタリティをどう感じますか? 共感できるでしょうか。
そうですね、演奏家として共感しなくてはいけません。実際のところ、私自身は物事を過剰に心配することもなければ、基本的にポジティブでハッピーな人間ですけれど。もしかしたらそれは、内向的で静かだといわれるフィンランド人の遺伝子によるのかもしれません。
それでも作品を理解するためには、常に矛盾を抱えたマーラーの世界観や精神を受け入れなくてはいけません。東欧のユダヤの文化を知ることも必要です。後にナチスによって破壊されたユダヤの文化は、それ以前のマーラーの時代、さらにいえば1000年前からずっと迫害を受けてきました。そんな常に脅威に晒されている感覚は、マーラーの音楽によく現れていると思います。
—もう一つのプログラムでは、ベートーヴェンの交響曲第7番を取り上げます。
ベートーヴェンは、現代ならいわゆる社会不適合者といわれるかもしれませんね。彼は人嫌いで、部屋を滅茶苦茶な状態にしては何十回も追い出され、引越しをした記録もあります。甥の父親がわりとしても不幸に見舞われることが多く、常に困難を抱えていました。
一方で彼は完璧主義者でした。交響曲第7番は、創造した素材を非常に効果的に取り込んで書き上げた傑作です。たくさんのスケッチから余計なものをすべて削ぎ落とし、完璧さの結晶のような音楽を作り上げました。感じたことをすべて書き、編集していくマーラーの作風とは対照的です。ベートーヴェンは、作品として残っているものよりもずっとたくさんの材料を捨てていると思います。
また、ベートーヴェンがピアノ演奏をしたときの様子を当時の人々が語っていますが、彼は実際楽譜に書いたものよりも興味深い、並外れた表現をしていたそうです。自由なファンタジーをもって、音楽の形式に縛られずに演奏していたのです。実際に聴くことができたらどんなにいいだろうと思いますよね。
ですから私がベートーヴェンを指揮するときは、エネルギーや完璧さを追求しながらも、彼の即興的な個性を強く意識します。例えばリズムは完璧かつ正確であることに加えて、 画期的で本能的なエネルギーを感じられるものでないといけません。
—ところでフィンランドにはたくさんの優れた指揮者がいます。何か特別な環境があるのでしょうか?
私は今、シベリウスアカデミーの教授として新世代を教えていますが、フィンランド人だけでなくいろいろな国の生徒がいます。ちなみに私の師であるヨルマ・パヌラは94歳ですが、今も教えていますよ!すごいことです。
フィンランドでは、オーケストラの演奏家、またはオーケストラの楽器を学んでいた人が指揮者になるケースが多いです。例えばドイツでは、オペラのコレペティトゥアとして歌手のピアノ伴奏をしながら研鑽を積み、オペラ指揮の機会を得てデビューする指揮者が多いので、少し道のりが違います。
フィンランドには、仲間内から誰かが立ち上がることを支える土壌があるのかもしれません。もともと平等主義な感覚が強い社会で、“どこか上から降りてきた人”よりも、先ほどまで隣にいた対等な人が指揮台に立つことを好む傾向にあるのでしょう。
私自身、30年前はフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターをしていました。ある日いつも通りヴァイオリンを携えてリハーサルにいったところ、急病のため指揮者が来られないからと急遽指揮をすることになり、それがきっかけで指揮者になりました。私は友人や同僚を指揮する中で多くを学ぶことになりました。
指揮者は孤独で、仕事の80%は一人で楽譜と向き合う作業です。いわば一人で知らない街にいて、そこから急に、自分に期待する住民のいる新しい街に入っていくようなもの。最初は難しかったですが、少しずつ学んでいきました。
—すでに何度も日本にいらしていますが、楽しみにしていることはありますか?
まずはもちろん食べ物ですね。私は日本食が大好きです。あとは親しみやすい人々、交通やホテルなど全てがオーガナイズされているところも好きです。
東京では、路地を歩き回ることも好きです。朝時間があると、1時間半くらい目的地を決めず散歩をします。自分がどこにいるのかわからないまま歩き続け、最後はGoogle Mapで帰り道を探します。歩いているときは、自分の姿が人から見えないように心がけています。隠れながら歩いている……という意味ではなく、とにかく完全に自然な装い、そこに住む人のような振る舞いを心がけるのです。
そうして人々が実際に住んでいる小さな通りを見て、家がどう建ち、どう配置されているか、人がどう暮らしているかを見ることは、街をより深く知るための良い方法です。地域ごとに異なる特徴を発見することが、とても興味深いのです。
—最後に、公演を楽しみにしている日本のみなさんに一言お願いします。
日本の聴衆は、いつも注意深く音楽に耳を傾けてくれて、音楽を本当に愛していることが伝わってきます。音楽を作るために必要なものを与えてくれるのは、そんなみなさんの存在です。
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団は、音楽的にハイレベルなうえ、とても熱心に音楽に向き合うオーケストラです。日本のみなさんも間違いなく喜んでくれると思います!
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