2024/11/7

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【インタビュー】大谷康子に訊く/デビュー50周年記念特別コンサート(前編)

柴田克彦(音楽ライター)

大谷康子1

(c)Kano Hayasaka

 2025年に楽壇デビュー50周年を迎える日本屈指のヴァイオリニスト、大谷康子が、来たる1月に「デビュー50周年記念特別コンサート」を行う。当公演は「民族・言語・思想の壁を超えて未来に向かう音楽会」が趣旨。「50年間ずっと大切にしてきた理念を形にする」意義深い内容だ。
「私は50年前から同じことを言い続けています。今も世界が分断し、民族問題が起こるなど、愚かな歴史が繰り返されていますが、私はそうした壁を超えられるのが音楽だと信じて活動してきました」
 その思いが芽生える最初の機会は8歳の時だった。
「名古屋のスズキ・メソードでヴァイオリンを勉強していた時、『テン・チルドレン』に選ばれてアメリカへ演奏旅行に行き、国連で弾かせて頂きました。すると金髪で青い目の人たちが、頭を撫でてくれたり、褒めてくれたりしました。その時、音楽やヴァイオリンが人を仲良くさせたり、見知らぬ人との縁をとり持ってくれたりすると思ったのです。これが私に大きな影響を与え、演奏家になるきっかけにもなりました」
 その後も考えは変わらず、視野が広がっていった。
「家でも父親の影響があって、大人たちの会話の中から自然と国際問題を感じ取ったのかもしれません。大学時代にも色々なところに弾きに行って、音楽が人の心を豊かにするものであり、それに携われるのを嬉しく思っていました。しかしクラシック音楽やベートーヴェンは高尚で、その他の音楽や小品は違うといった考えの人もいて、そこに違和感を感じたこともありました。
 ソロと並行してオーケストラのコンサートマスター(東京シティ・フィルで13年、東京交響楽団で21年)を務め、室内楽や現代音楽、大学教授、財団の理事や観光大使など様々なことをやってきました」
 2番目の大きな出来事は、2001年の同時多発テロ(9・11)の時のこと。
「その時は東響のヨーロッパツアーでトルコのイスタンブールにいて、9月12日の演奏会は一旦中止になりました。ところが決定が覆り、『トルコは東と西の間にあるし、そもそも世界には東も西もない。こういう時だからこそ皆が手を取り合って一緒に演奏すべきだ』という話になったのです。あの時日本ではなくイスタンブールにいたからこそ『東も西もない。音楽で手を取り合おう』との考えが心に染みたのだと思いますし、『私も音楽をやっていたからこうした局面に立ち会えたのだ』と物凄く感動しました」
 次は2011年の東日本大震災の時だった。
「被災地への訪問演奏とは違う視点で重要だったのが、日本を助けてくれた国のことです。特に人的支援をしてくださった方々にお礼を言いたいと思い、赤十字の近衛忠輝社長の後押しもあって、国際文化会館で『“ありがとう”を音楽に乗せて』と題した公演を行いました。すると当時外交的には難しかった韓国大使等を含む30カ国位の方が来てくださって、韓国大使から『隣の国が大変な時に助けるのは当たり前のことです』と言われて感激し、『政治では難しいことでも音楽ならできる。ヴァイオリンをやっていて良かった』と思いました。また今回も共演するピアノの藤井一興さんが言われた『被災地で見てもパリで見ても月は美しい』との言葉も印象に残っています」

大谷康子2

(c)Nobuo MIKAWA

 次がウクライナとの関係だ。
「2015年のキエフ国立フィルの日本公演の際に、サントリーホールや名古屋、青森で共演させて頂き、2017、18、19年にはキエフに招かれて演奏しました。さらに2019年の来日公演では宮崎や大阪でのジルベスターコンサートと20年元旦のニューイヤー・コンサートで共演するなど、とても良い交流ができていたのに、あのような戦争になりまして……。2023年の冬に彼らが来日した時には『落ち着いたらまた来てね』と言われたのですが、なかなか行けなくて残念な思いをしています。また初めて現地に行った時、民主化運動やクリミヤ戦争の犠牲者の写真が教会の壁や広場等に貼ってあるのを見て衝撃を受け、『音楽で何ができるか』を少しずつでも考えていけば、世の中が変わるのではないかと思いました」

大谷康子3

(c)Kano Hayasaka

後編へ続く


◆大谷康子アーティストページはこちらから
https://www.japanarts.co.jp/artist/yasukoohtani/

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