2014/4/15

ニュース

  • Facebookでシェア
  • Twitterでツイート
  • noteで書く

座談会 Vol.1 プレトニョフの音楽とその魅力

プレトニョフ

 独自の音色、独創的な表現と透徹したテクニックで世界最高峰のピアニストと賞賛されたプレトニョフ。2006年末に衝撃のピアニスト活動休止宣言。そしてついに本年5月、9年ぶりのピアノでの来日公演を行います。そんなプレトニョフの音楽の魅力を3名の専門家の皆様に語っていただきました。

青澤 隆明氏
プレトニョフ
 1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。高校在学中から音楽専門誌への寄稿を始め、「レコード芸術」、「音楽の友」、「ミセス」、「北海道新聞」ほかで定期的に執筆。音楽や文学をめぐる執筆、インタヴュー、企画構成のほか、コンサートのプロデュースも行う。著書に、プレトニョフの章を含む『現代のピアニスト30-アリアと変奏』(ちくま新書)など。

伊熊 よし子氏
プレトニョフ
 音楽ジャーナリスト、音楽評論家。東京音楽大学卒業。
 レコード会社、ピアノ専門誌「ショパン」編集長を経て、フリーに。クラシック音楽をより幅広い人々に聴いてほしいとの考えから、音楽専門誌だけでなく、新聞、一般誌、情報誌、WEBなどにも記事を執筆。アーティストへのインタビューの仕事も多く、もっとも多い年で年間70名のアーティストに話を聞いている。クラシックは「生涯の友」となり得るものであるとの信念のもと、各アーティストの演奏、素顔、人生観、音楽観を自分の言葉で人々に伝えることに全力を傾けている。近著「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」(芸術新聞社)」

寺西 基之氏
プレトニョフ
 1956年生まれ。上智大学文学部卒業、成城大学大学院修士課程(西洋音楽史専攻)修了。音楽評論家として執筆活動を行う一方、(公財)東京交響楽団監事、(公財)東京二期会理事、新日鉄住金音楽賞選考委員、(公財)アフィニス文化財団理事などを務める。共訳書にグラウト/パリスカ『新西洋音楽史』、共著に『ピアノの世界』ほか。

今回の9年ぶりの日本でのプレトニョフのピアノ公演に向けて楽しみな点を教えてください。

青澤(以下A):
 全部が楽しみですね。プレトニョフは近年の指揮活動の中で自分のオーケストラ、ロシア・ナショナル管弦楽団(以下RNO)をほとんど理想的にコントロールするという水準にまで到達したわけですが、同時にピアノに対する「飢え」のようなものも芽生えていたのではないでしょうか。ピアノでの表現の欲求がピアニストとしての活動を休止している間にも高まってきたのだと思います。現在の楽器に対する不満も口にしていましたが、それがShigeru-Kawai との幸福な出会いによって着火し、ピアニストとしての気持ちも高揚した状態にあるのでしょう。復帰してからも新しい興奮や発見があったと思います。そうしたなか、日本で早速に彼の演奏会が聴けるというのはとても楽しみです。

寺西(以下T):
 今までは楽器に不満があって表現していたもの、それが新しいカワイとの出会で理想の楽器を手に入れてより彼の思い描くものに近いかたちで表現される。それがどういうものなのか、というところを楽しみにしています。ここ数年の彼の指揮活動を見ていると、自由自在に作品を料理しているというか、かなり表現が先鋭化してきています。よりやりたいことが細かくさらに濃密になっているように感じます。それがピアニストとして復帰した場合、どういうかたちとして出てくるのか、それも楽しみな点の一つですね。

伊熊(以下I):
 私の記憶では1980年が初来日です。初来日の時の演奏を思い出すと、ロマンティシズム豊かな演奏でした。その頃からずっと聴き続けてくると、今、先鋭化というお話がお二人からありましたが、ピアノ自体が柔軟性をもった動きになってきて、かつ彼の人間性も視野が広くなってきたと思います。ピアノに戻ってきたのは楽器のことはもちろん大きなファクターではあると思いますが、私が一番注目している点はオーケストラの指揮活動に専念したことによって、自分がオーケストラのすべての音をピアノで出せるということが再認識できたのではないかということです。アシュケナージもツィメルマンもそうですが、名手とよばれる人たちがオーケストラの指揮活動を始めたあと、ピアノ演奏がどんどん変わっていきます。プレトニョフの場合、自らのオーケストラを創設して、さまざまな作品を演奏して、作曲活動も行う多彩な才能をもっているのですが、それはすべてピアノ演奏に集約できるのではないかと思います。ピアノという楽器はオーケストラのすべての楽器の音を再現できる楽器ですので、たぶんオーケストラの音の響きを念頭においてピアノを演奏したいと考えたのではないか。だからこそ理想の楽器を探していたのではないでしょか。したがって、もし指揮活動をせずにピアニストとしての活動に専念していたならピアノの選び方は違ったと思います。だからそういうことから考えると私が80年の初来日で聴いた演奏とは人が変わったような演奏になるのではないでしょうか。
シンフォニックな響きを期待したいし、ひとつひとつの音色の変化がどういう風に変わってくるのか。指揮を経験した人ならではの響きを聴いてみたいと思います。

A: ピアニストとしての思考だけではなく、作曲家としての鋭い視点を盛り込み、そして自分のオーケストラを創って演奏を探求した経験も含めて、自らの演奏表現をつくってきたのだと思います。音色に関してもオーケストラ体験を通して、ピアノというある種の抽象性に、より具体的な質感を増した豊かなものになっているのではないかと想像されます。指揮者としての充実した活動がピアニストとしての活動にどのように昇華されるのか、しかも今回はリサイタルに加えて協奏曲もあるので、その点はどうしようもなく楽しみですね。

T: プレトニョフのオーケストラ経験を通したピアノ演奏は、今まで使っていたピアノでは出来ない、自分の思い描く音色は出すことが不可能だということを感じて一度ピアノ演奏を休止したわけですが、それが出来るピアノが見つかったから復帰する、そういうところがあるのではないでしょうか。

A: 表現したい色彩感、音色、立体感などが現在のピアノでは出せない、ある種の完璧主義者として許せなかったということが、ピアニスト活動を休止した大きな原因のひとつだったのでしょう。ピアニスト活動を休止する直前のベートーヴェンのピアノ協奏曲のCDなどではブリュットナーのピアノを使って、独特の響きのパースペクティヴに光を当てるというようなこともやっていましたね。

T: ベートーヴェンの協奏曲のCDもモーツァルトの協奏曲のCDもブリュットナーでした。その頃から自分の音色を出せるピアノを探していたのではないでしょうか。

A: モーツァルトの録音に関して言及すると、色々なことをやっていますが、響きの空間が拡張されている感覚、より立体的に自由自在に聴こえてくることが印象に残っています。

プレトニョフ

ピアノをやってる人に是非聴いて欲しい「お手本にならない人を見る」楽しみ
I: 私はピアノをやっている人に是非、聴いて欲しいです。というのもプレトニョフのピアノはお手本にはなりません。例えばアシュケナージなどは音大生のお手本になります。ピアノというのは作品も多く、習っている人、弾いている人の人口も多いです。ピアノに興味を持つ人にとっては「ピアノを弾く人のお手本にはならない人を見る」という楽しさがあると思います。プレトニョフの演奏は何が出てくるか分からない。そういう刺激やスリルを味わえると思います。また彼の体の使い方は独特です。特に手首の使い方が非常に特徴的です。ひとつひとつの音、例えば弱音、中音、強音、それぞれ手首の使い方がまったく違うことに気付きます。昔の巨匠、ホロヴィッツ、ルービンシュタインなどの映像を見ると手首をあまり動かしていません。プレトニョフの場合は自由自在に動かします。上腕、肘、上体、そしてペダル、全部人には真似のできない動きで演奏するのです。それはピアノの先生からすると弾けるのが不思議というくらい自由自在です。そしてピアノを弾く姿勢の変化は彼の場合は音の変化に繋がっています。覆いかぶさるように弾く時はオーケストラのような音、ちょっと引き気味に弾くとロマンティックな音、クールで冷めた表情で弾くときはエレガントな音色 という風です。すべての動きが音色と繋がっています。それは音大生であれピアノを弾く人であれ、真似をする必要はありませんが、色々な面白さに気付くことが出来ると思います。またそういう視点から見るとピアノに対する面白さが増えると思います。

T: 真似しようと思っても出来るものではないですが・・・(笑)
体の動きもそうですが、すべで既成の概念に捉われないアプローチをしています。テンポも極端なほどのアゴーギクというか揺れを作ります。リズムを誇張し、ダイナミクスも楽譜とは違ったことを意図的に行います。

I: 作曲家ですからね。

作品を再創造するような演奏
T: クリエイティヴというか、作品を再創造するような演奏をします。かといって作品と別のところにいってしまうということではなく、作品の新しい面を引き出してくれる。普段聴いている曲をまったく新しい生命をもって生まれ変わらせることができる。それがプレトニョフの一番の魅力です。

A: 伝統的でオーソドックスな解釈とは違います。が、プレトニョフは「あざとさ」を感じさせません。例えばモーツァルトのレコーディングを聴くと、その解釈に意表をつかれます。人によっては過剰と感じる場合もあるでしょうし、人によっては強烈な魅力を感じるでしょうが、不自然というのとは違います。ある枠組みの中で部品を換えたり、浮き立たせたりして奇異にみせる演奏とは違って、プレトニョフの場合には作品そのものの空間を初めから広げている想像力がある。そしてさまざまなパーツがその世界観の中で有機的に絡み合うのです。演奏におけるさまざまな創意や遊び心がとってつけた付属物にはならない。それは奇を衒うという次元とはまったく違うことを行っているということだと思います。彼自身の芸術家としての真実の追究と直結しているのではないでしょうか。

T: 全体をきちんと捉えた上で細部を考えている。彼の演奏を聴いていると彼は演出家なのではないかとさえ感じられるときがあります。要するに一つの役だけに感情移入して動いているのではなく、全体を俯瞰してそれぞれを演じる。そういうようなところが彼の演奏にはあるのではないか ということです。

A: モーツァルトの演奏では非常にシアトリカルな感覚がある。シューマンもそうでしょう。

T: 伝統的な演奏が好きな人の一部からは反発を買うような演奏ではあるのですが、むしろ彼はそこを意図しているのではないでしょうか。

Vol.2へ続く……

—————————————
ついに復活!ロシア・ピアニズムの巨匠
ミハイル・プレトニョフ リサイタル&コンチェルト

<<協奏曲の夕べ>>
2014年05月27日(火) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール
<<リサイタル>>
2014年05月29日(木) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール

プレトニョフ

公演の詳細はこちら

ページ上部へ