2014/4/21
ニュース
キーシン/日本ツアー初日公演レポート 第2弾 ~深遠な感動に胸を打たれた…~
4月17日、横浜みなとみらいホールでのキーシンのピアノ・リサイタルを聴いた。3年ぶりの来日公演ということもあり、客席には熱い期待感が漂っているのが感じられる。この国に根強いファンをもつキーシン、15歳だった初来日(1986年)から通い詰めているお客さんもいるらしい。世界的な「巨匠」になっても、日本でのリサイタルでどこか親密な空気が漂うのは、どこかに「私たちのキーシン」という親しい気持ちがあるからなのかも知れない。
前半のシューベルト作曲「ピアノ・ソナタ第17番ニ長調Op.53」は1楽章から4楽章まで約50分を要する大曲。ピアニストにとっては構成力とスタミナを求められる曲だが、キーシンはごく自然な呼吸でシューベルトの世界へと入っていった。
力強い第一主題はベートーヴェンを彷彿させる。華やかなユニゾンとスタッカートが、山や森や小川など、自然界の生き生きとした情景を描いていくかのようだ。キーシンの柔軟で強靭な指は、次々と色彩を変えていくスクリーンのように色彩豊かなサウンドを展開し、素晴らしい集中力でシューベルトの輪郭を際立たせていった。
祈りの中の啓示にも似た第2楽章は、穏やかに優雅に繰り広げられた。快活な第3楽章は無邪気なダンスのようで、ピアニストの明るく混じりけのない心が映し出されているようだった。作曲家の奔放な心が溢れ出す第4楽章で、ピアノの色はいよいよ透明で軽やかになり、色鮮やかになり、純粋な音楽の世界で息づいている花のような貴重な美しさに、聴衆は息を呑んだのである。
キーシンの魅力はミステリアスだ。「キーシンらしさ」を言葉にしようとするたび、彼の音楽はそこから身をかわして逃げていく。顔をしかめて苦しそうに弾くピアニストもいれば、にこやかに微笑みながら弾くピアニストもいるが、キーシンはそのどちらでもない。彼のピアノを聴いていると、「個」というドラマから自由な、とても大きなもの―――神の恩恵のようなもの、に支えられた音楽だとしか思えなくなることがある。40歳を過ぎて、芸術的には円熟期なあることは間違いないのだが、アートの国に住むキーシンに、地上の時間は関係ないような気もする。当たり前の人間の「老い」のドラマからも、キーシンは解き放たれているのではないか。
後半のスクリャービンで、もうひとつのキーシンの世界が幕を開けた。夜空全体がオーロラのような色彩に染まった別世界にいる感覚にとらわれた時間だった。「ピアノ・ソナタ第2番・幻想ソナタOp.19」は、スクリャービンの前衛性とロマンティシズムの微妙なグラデーションの狭間にある美しい曲で、ラフマニノフのようなメランコリーも漂わせ、二楽章からなる音楽のすべてが陶酔的だ。香り立つ妖艶さが、キーシンの秘められた魅力を明らかにしていった。
同じくスクリャービンの「12の練習曲op.8」で、キーシンの変化と成長を見つけたような気がした。この練習曲の第8番(レント)を、以前のキーシンは砕け散る氷の飛沫のように激しく演奏したが、40代の彼の演奏には、静かな達観の境地が感じられたのだ。しっかりとした打鍵で、指はどんな和音もこぼさずに正確にとらえるが、旋律のドラマの裏側に無常観とも諦観ともつかない、冷静で揺るぎない何かが横たわっているように思えた。暗鬱さを湛えた第12番はラフマニノフも好んで弾いた名曲で、キーシンも素晴らしい情感でこれを演奏した。
スクリャービンから感じられたのは、キーシンの崇高な孤独感と、ピアニストとしての覚悟である。世界中から大歓迎されるスター演奏家でありながら、ピアニストの生きる人生はこんなにもストイックで孤高なのだ…音楽によって語られた幾つもの言葉を広いながら、深遠な感動に胸を打たれた。
アンコールは3曲。ショパンの「英雄ポロネーズ」の信じ難いほどの名演に会場が熱狂した。やはりショパンも素晴らしいし、今のキーシンなら何だって弾けるだろう。そう思いながら「本編」として選ばれた二人の作曲家について、改めて考えるきっかけを得た。ピアニストのリアルな「現在」が凝縮されたプログラムだったのだ。
2014年4月17日 横浜みなとみらいホール公演を聴いて
小田島久恵(音楽ライター)
——————————————————–
キーシンが魅せる、新しい世界
エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル
2014年05月01日(木) 19時開演 サントリーホール
2014年05月04日(日・祝) 15時開演 サントリーホール