2025/4/18

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ナタリー・デセイ Farewell コンサート in Paris レポート到着!

11月に来日公演を行うナタリー・デセイがオペラ歌手としてFarewellコンサートを行ったパリの公演レポートをお届けいたします。 (取材&文:三光洋/パリ在住)
*公演情報は末尾をご参照ください

ナタリー・デセイ

 まもなく還暦を迎えるナタリー・デセイがガルニエ宮で3月30日夜、「さよならリサイタル」を開いた。ピアノは2012年からずっと共演してきているベテランのフィリップ・カサール(Philippe Cassard)である。「さよなら」(Au revoir)と言っても40年近くになる舞台活動からの引退ではない。ここ数年「女優」「シャンソン歌手」「ミュージカル歌手」「オペラ歌手」という四つの分野にまたがって活動してきた中で、「オペラ歌手」にピリオドを打つという。それは今、自分が一番やりたいミュージカルに専心するためだ。

デセイ(フランス語での実際の発音はドゥセ)は精力的に活動を行っており、3月に新譜「Oiseaux de passages」(渡り鳥)がLa Dolce Volta レーベルから発売されたばかりで、カサールとのツアーも秋まで予定されている。4月16日から誕生日の4月19日まではフィルハーモニー・ドゥ・パリでステファン・ソンドハイムが作曲したミュージカル「ジプシー」の主役ローズ(ルイーズはデセイの娘ネイマ・ナウリ、演出は実力派ロラン・ペリ)、6月17日から7月6日まではストラスブール・ラン歌劇場で同じソンドハイム作曲の「スウィニー・トッド」にネリー・ロヴェット夫人役を歌う。(指揮はバッセム・アキキ、演出は人気のバリー・コスキー)

 リサイタルは「フランス=アメリカ」と銘打たれ、前半がフランス歌曲、休憩後の後半がミュージカルを中心としたアメリカ歌曲が並び、デセイ自身がマイクを手に曲の短い解説を行った。
 最初はサミュエル・バーバー(1910-1981)がライナー・マリア・リルケの仏語詩に曲をつけた歌曲集「過ぎ行きしものの歌」(Op. 27 1950-51年作曲)だった。デセイによると「奇妙な曲でめったに歌われない」という。
第1曲「すべては過ぎていくから」という冒頭から、一語一語を長い息を使って、まるみのある柔らかな音でていねいに彫琢していった」。第2曲「白鳥」のトリルに感じられた水面に跳ねる水滴の質感はニュアンスに富んだ曲作りの典型だったろう。
「公園の墓」「歌う鐘」「出発」と続いたが、「歌う鐘」の最後において澄み切った音をピアニッシモできれいに伸ばして、一つの物語をきれいに完結させた。
 次のエルネスト・ショーソン(1855-1899)「ハチドリ」(1880年作曲 ルコント・ド・リール詩)だけが“きれいだから取り上げた”19世紀の曲で、他はすべて20世紀のもので、デセイの現代への思い入れが選曲に現れていた。

 レイナルド・アーン(1874‐1947)の「リラに来るウグイス」(1913年作曲 レオポルド・ドーファン詩)があくまでも優しく語られたあと、今年生誕150年を迎えたモーリス・ラヴェル(1875-1937)が詩句も書いた「楽園の3羽の美しい鳥」(1917年作曲)では一転して、第1次大戦において多大な戦死者を出した祖国への思いが哀切な響きに託されていた。
 シャンソンの作曲家ジョルジュ・ブラッサンスが台詞に使ったことで知られる詩人ポール・フォール(1872‐1960)の詩を使ったオペレッタ作曲家ルイ・ベッツ(1895-1953 日本ではベイツと表記されることがある)の「傷ついた鳩」(歌曲集「鳥たちのシャンソン」より)では、よく(しな) い、小音量でも通る声で、フォーレやメッサジェを愛好した作曲家の旋律の魅力がよく伝わってきた。
 続いたフランシス・プーランク(1899-1963)の「かもめの女王」(1943年作曲 歌集「変身」より)は女流詩人ルイーズ・ド・ヴァルモランの詩句では若い恋する女性の心情がたくまずして音となっていた。
 ここでフランス歌曲が終わり、前半最後は独り歌劇「モンテカルロの女」(1961年作曲)だった。ジャン・コクトーの台本によるプーランクの曲はカジノで運命の女神に見放されたヒロインが地中海に身を投げる前に歌う独白である。プーランクのミューズだったドゥニーズ・デュヴァルが初演したモノローグをデセイは表情、身振りを駆使し、実に克明に物語っていった。最後の「今晩、私はモンテカルロの海に頭を投げかける、モンテカルロ」では客席に背を向けて幕切れを明示した。

 後半、金色に輝くドレスに着替えて現れたデセイは20世紀アメリカのミュージカルから四つの場面を演じた。

ナタリー・デセイ

 アメリカ人ながらモンテカルロで生を閉じたジャン=カルロ・メノッティ(1911‐2007)のオペラ《泥棒とオールドミス》(1939年作曲 メノッティ台本)からのアリア「優しい泥棒さん、私を奪って」、オペラ《霊媒》(1945‐46年作曲 メノッティ台本)から「モニカのワルツ」の二曲で始まった。そしてメノッティのパートナーだったサミュエル・バーバーが作曲した「ノックスヴィル、1915年の夏」(1947年作曲 ジェームス・エイジー台本)では幼年時代の回想を歌と演技で見せた。

 プログラムの末尾に置かれたのはアンドレ・プレヴィン(1929‐2019)がアメリカのソプラノ、ルネ・フレミングのために書いたテネシー・ウイリアムズ原作の「欲望という名の電車」(1995年作曲・初演)からブランチ・デュボワのアリアだった。「泥棒とオールドミス」の途中で言葉が出てこないで、歌いやめるというハプニングもあったものの、これからのミュージカル歌手としての将来が期待できる演技と歌唱表現に観客は引き込まれた。

 アンコールは三曲。まず「本来は私の声に合った曲ではないけれど、ピアノ伴奏だから歌えると思います」と断った上でマスネのオペラ「ル・シッド」からヒロイン、シメーヌのアリア「私の目よ、泣くがよい」、ついでレオ・ドリーブのオペラ「ラクメ」のアリア「あなたは、最も美しい夢を私に見させてくれた」だった。
デビューからまもないデセイがオペラ・コミック座で歌って復活上演された作品を見ようとパリジャンが詰めかけた。マディー・メスプレが歌って以来、歌える歌手がいないためにお蔵入りになっていたのだった。隣席の老人が「生きているうちに、もう一度このオペラが見られるとは思わなかった」と感涙の涙にむせんでいたのが思い出された。

ナタリー・デセイ

三曲目にはデセイがマルセイユ・オペラで《フィガロの結婚》で歌手としてデビューした時、「(父親がわざわざ初舞台を遠いマルセイユまで見にきてくれたのに)間に合わずに聴き逃してしまったのが、今でも心残りなので」と前置きをして、バルバリーナのカヴァティーナ「ああ、無くしてしまったわ」を歌い、オペラ歌手としての終止符を打った。

★ナタリー・デセイ(ピアノ:フィリップ・カサール)公演情報2025
11月6日(木)開演19時 東京オペラシティコンサートホール 
6月中旬発売予定!

その他の公演予定:
11月2日(日)開演14時 神奈川県立音楽堂 問合せ:神奈川県立音楽堂
11月8日(土)台湾/高雄
11月10日(月)台湾/台北

ナタリー・デセイのアーティストページはこちらから
https://www.japanarts.co.jp/artist/nataliedessay/

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