2014/4/24
ニュース
【 曲目解説】モイツァ・エルトマン(ソプラノ)&グザヴィエ・ドゥ・メストレ(ハープ)
曲目解説
岸 純信(オペラ研究家)
F. シューベルト:
男なんてみな悪者Op. 95 D. 866-3
至福 D. 433
死と乙女 Op. 7-3 D531
野ばら Op. 3-3 D. 257
月に寄せて D. 259
糸を紡ぐグレートヒェン Op. 2 D. 118
32年弱の短い生涯で、600作以上もの歌曲を作り続けたフランツ・シューベルト(1797-1828)。かのウィーン少年合唱団員にも所属し美声を誇った彼だけに、メロディの瑞々しさと親しみやすさは、やはり群を抜くものだろう。今回エルトマンが選んだのは6つの名曲である。まずはコミカルで軽妙な〈男なんてみな悪者〉(作曲:1826頃)を。ヨハン・ガブリエル・ザイドル(1804-75)の詩により、男の裏切りに憤慨して「お母さんの言った通りよ!」と訴える娘の面差しが、短調と長調が巧妙に入り混じる曲調から鮮烈に伝わってくる。
続いては対照的に、恋の歓びを全面的に肯定する〈至福〉(1816)を。3拍子のレントラーの軽やかなリズムに載せて恋愛の幸福感が溌剌と歌われる。詩は早世の人ルートヴィヒ・ヘルティー(1748-76)の手になるものである。そして、人気作の〈死と乙女〉(1817)を。詩はマティアス・クラウディウス(1740-1815)の作であり、内容は乙女と死神が交わす短い対話を描くものである。メロディがニ短調の弦楽四重奏曲のテーマに使われたことでも知られる一曲だが、何より、前半の乙女の訴えかけの切羽詰ったさまと、後半の死神の冷厳たる物腰が、対照の妙として興味深い。なお、譜面には、死神の最後の一言〈schlafen 眠る〉の音型に二つの選択肢があるため、エルトマンがどちらを選ぶかにも注目頂ければと思う。最後の一音を通常の音域内に収めるか、それともオクターヴ下げるのか。いずれにしても、彼女の表現力を堪能頂けることだろう。
ここで、誰もが知る名旋律〈野ばら〉(1815)を。文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)の詩につけられた軽やかな調べを、エルトマンの爽やかな声音で味わい、シンプルな伴奏の上で詩句の明暗が際立つさまも聴きとって頂こう。続いての〈月に寄せて〉(1815)も同じくゲーテによるもの。シューベルトはこの詩に2度曲をつけており、今回エルトマンが歌うのはその第1稿である。付点のリズムの多い第2稿(D296)に比べて、こちらはよりシンプルなメロディラインを特徴とする。月夜をさまよい歩く若者の心象風景がゆったりと表現され、聴く者の心も安らげるといった素朴な名曲であろう。
締め括りには、やはりゲーテによる〈糸を紡ぐグレートヒェン〉(1814)を。戯曲『ファウスト』内の詩に基づき、ファウスト博士の出現で心に生まれた熱い恋情を、グレートヒェンが糸車を回しながら悶えるように歌い進めるさまが強烈な印象を残す。多くの音楽学者に「ドイツ・ロマン派歌曲の成立を示す記念碑」と称される名曲である。
W. A. モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第16番 ハ長調 K.545
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91)が、恐らくは教育用にと考えて書き上げた小さなピアノ・ソナタ(1788)。ピアノ演奏を嗜む人ならば、『ソナチネ・アルバム』で必ず出会う、人口に膾炙した一曲である。もともとは第15番と銘打たれていたが、モーツァルト新全集では「16番」に位置づけられている。さて、この曲でドゥ・メストレがハープをどのように操るか、彼の指捌きにご注目頂きたい。
歌劇「フィガロの結婚」より “さあ早く来て、いとしい人よ”
世界で最も人気の高いオペラの一つ《フィガロの結婚》(1786)。フランスのボーマルシェの戯曲をもとに、ロレンツォ・ダ・ポンテが台本を書き、モーツァルトが作曲した全4幕のオペラ・ブッファ(喜劇のオペラ)である。今回エルトマンが歌うのは、伯爵夫人の侍女スザンナが恋しいフィガロを夜の庭園で待つ際に歌う、終幕のアリア。彼女のピュアな心持ちが、しっとりとしたメロディラインを豊かに膨らませるさまに聴き入って頂こう。
V. ベッリーニ:歌劇「カプレーティとモンテッキ」より “ああ幾度か”
磨きぬかれた旋律美の極致として、うるさ型のワーグナーすら魅了した作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-35)。今回エルトマンが歌うのは、彼のヒット作《カプレーティとモンテッキ》(1830)第1幕のアリア〈おお幾度か〉。物語はいわずと知れたロミオとジュリエット(イタリア語ではロメオとジュリエッタ)の悲恋譚である。乙女のひたむきな心が、緻密なレガート唱法で色濃く染め上げられる辺りに注目頂きたい。
R. シュトラウス:
ひどい天気 Op. 69-5
万霊節 Op. 10-8
私の思いのすべて Op. 21-1
何もなく Op. 10-2
あなたは私の心の王冠 Op. 21-2
セレナーデ Op. 17-2
今年で生誕150周年を迎える作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)。交響詩やオペラで傑作を次々と世に送った人だが、歌曲も200作以上を書き、多くの声楽家たちに愛唱されている。
本日、エルトマンが選んだのは6つの名曲である。まずは〈ひどい天気〉(作曲:1918)を。詩の作者はハインリヒ・ハイネ(1797-1856)である。前奏から続くピアノ伴奏の激烈な下降音型は明らかに荒天の様子を模しており、窓から戸外を眺める者が目にした光景に想像力を膨らませるさまがつらつらと歌われてゆく。続いては〈万霊節〉(1885)を。R.シュトラウス最初期の歌曲の一つであり、詩はヘルマン・フォン・ギルム(1812-64)による。曲題の「万霊節」とはカトリックの祭日(11月2日)であり、年に一度、死者の魂が帰ってくる日とされている。亡き恋人に帰還を呼びかける者の切なくも温かい心を、雄弁なメロディラインから聴きとって頂こう。
次は〈私の思いのすべて〉(1887-88)を。フェリックス・ダーン(1834-1912)の詩に曲がつけられており、言葉を畳み掛ける軽快なフレーズが楽しい小品である。そして、〈何もなく〉(1885)を。先ほどの〈万霊節〉と同じく、フォン・ギルムの詩に音がつけられた、R.シュトラウス最初期のリートの一つである。弾けるような付点のリズムが楽しげに響き、「僕は彼女のことを何も知らない」といった口調が繰り返し現われた後、「だからこそ、知る喜びもあろうというものだ」といった高揚ぶりが言外に表されて終わる。
続いては、再びダーンの詩で〈あなたは私の心の王冠〉(1887-88)を。ゆっくりとした曲調で、愛する人の謙虚な姿勢をひたすら讃えながら、深い恋慕の念を徐々に滲ませてゆく辺りが大いに聴き応えある。そして、人気作〈セレナーデ〉(1885-87)を。詩はアドルフ・フリードリヒ・フォン・シャック(1834-1912)による。伴奏部の涼やかな音の連なりが小川のせせらぎを思わせるなかで、歌声は月明かりの中で恋人を待つ者の心の昂ぶりをエレガントに描き出している。
B. スメタナ:交響詩「わが祖国」より「モルダウ」
「チェコ近代音楽の父」ベドルジフ・スメタナ(1824-84)は、オペラ史においては《売られた花嫁》(1866)が何より知られるが、一般的な人気を得たのは、やはり連作交響詩《わが祖国》(1882)の第2曲〈ヴルタヴァ(モルダウ)〉であろう。この「ヴルタヴァ」とはプラハを流れる大河の名前でチェコ語本来の読み方である。一方の「モルダウ」とはドイツ語読みの名称になる。緩やかな水面を思わせるメロディの滔々たる流れをハープがどのように再現するか、じっくりと聴き入って頂こう。
G. ヴェルディ:歌劇「リゴレット」より “慕わしき人の名は”
古典派的な規則正しいリズムの力と、ロマン派の流麗なメロディラインが美しく溶け合い、カデンツァ(喉のテクニックの見せ場)という伝統的な声楽書法も巧妙に盛り込んだアリア〈慕わしき人の名は〉。ヴェルディの分岐点となった傑作《リゴレット》(1871)でヒロインのジルダが愛の歓びをこめて歌い上げる名曲である。ヴェルディのメロディで最も可憐な響きを有する一つとして、エルトマンの声音に漲る抒情性をふんだんに味わって頂けるだろう。
A.サリエーリ:歌劇「ダナオスの娘たち」より “あなたの娘が 震えながら”
ウィーンの宮廷楽長として活躍し、シューベルトの師でもあったイタリア人アントニオ・サリエーリ(1750-1825)。彼がフランス語の台本に作曲した《ダナオスの娘たち》は、1784年にパリ・オペラ座で初演され、現代でもたまに上演されるオペラである。ドラマは古代ギリシャに題材をとり、このアリア(エール)は、父ダナオス王[ダナウス]の暴挙 - 敵国の若者たちを暗殺しようとする - を諌めるべく必死で縋る王女ヒュペルムネストラ[イペルムネストル]の一曲(第2幕)。悲痛な想いをひしひしと告げる、清冽な美感を湛えた佳品であろう。ちなみに、以前インタヴューした折、エルトマンは、こうした知られざる名曲を自分の芸術性を通じて客席に届けられることをとても喜んでいた。彼女の抑制の利いた歌いぶりにどうぞ耳を欹てて頂きたい。
G. プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」より “私のいとしいお父さん”
近代イタリアの作曲家で最も成功したジャコモ・プッチーニ(1858-1924)。悲劇のオペラを好んで作ったが、唯一の喜劇オペラ《ジャンニ・スキッキ》(1918)も今日まで高い人気を保つ名作である。中でも有名なのが〈私のいとしいお父さん〉。ラウレッタが父スキッキに向かって「恋を認めてくれないなら河に身投げするわ」と切々と歌う小アリアである。幅広い音域を用いながら、切羽詰った娘心を優美に表す一曲として、「小粒でもきらりと光る」その芸術性に改めて耳を澄ませて頂こう。
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ハープと歌で織り成す天上の調べ
モイツァ・エルトマン(ソプラノ) & グザヴィエ・ドゥ・メストレ(ハープ) デュオ・リサイタル
2014年04月30日(水) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール